すべての夢のたび。

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いい曲はいい曲

「全ろうの作曲家」として知られる佐村河内守氏(50)の代表作「交響曲第1番 HIROSHIMA」などについて、18年前から自身が作曲していたと謝罪した音楽家の新垣隆氏(43)が6日、佐村河内氏の聴力について「私の認識では初めからこれまで一度も聞こえないと感じたことはない」と「全ろう」についてまで偽装の疑惑が浮上した。


この人のことは知りませんでしたけど、なかなか面白いことになってますね。

今回の事件を巡る言説でよくあるのが「誰が作曲しようと音楽は音楽だ。お前は何を聞いていたんだ」系。特にぼくのツイッターのタイムラインでは音楽関係の人もそう言っていて。

でも、そうかな?と思う。確かにぼくも、ミュージシャンがクスリやって捕まったりしたときは、べつにいーんじゃないの買ったCDの曲が今後変わっちゃうわけでなし……と思ってました。けれども今回のこれは、なんか駄目だなーと思う。同じ耳では聞けないだろうなと。

騙されてたって思うのは駄目だな。クスリやってたって誰を騙してるわけでもないしね(いや、正義の人は「クスリ?騙された!」って思って耳が変わっちゃうのかもしれませんが)。本人が作ってないだけでなく、耳が聞こえないのも嘘、おまけに他人を脅してましたとか、ねぇ。きっとまだ出てくるでしょ。

結局、五感を通して入ってくるものは気分で感じ方が変わってしまうってことですね。好きな人と食事したほうが美味いっていいますしね。誰が作ろうと料理は料理のはずなんだけど実際そうじゃないですか。気持ちが高揚してるときは景色が輝いて見えるとかそんなもの。

音楽系の人が今回のこれで「曲は曲だ」って言うのはたぶん、自分の曲も「自分が無名だろうといい曲はいい曲だ」って言いたい気分もあるからじゃないのかなーとちょっと思いましたです。