すべての夢のたび。

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中島義道先生はどうして死が怖いのか


非公式botです。ご本人の本からの引用ですがご本人ではありません。

さて、この一節は知らなかったけど、中島先生の考えに触れられて興味深い。1億年に1度でも生き返られるとしたら死ぬことは怖くないとか。ふうん。要は無が怖いと。なるほど。

つまり保証が欲しいんですね、無にはならないっていう。その保証さえあれば、いつか生き返られるのであれば、死んでいる期間の長さは問題ではないと。まぁ、そりゃそうですよね。死んでるならその間は意識ないから100年だろうが1億年だろうが関係ないもんね。

ぼくの場合はここでさらに一歩進んで、生き返ろうが生き返るまいがどっちでも構わないんじゃ、ってなってしまうんです。ここが、中島先生のような死ぬのが怖い人との違い、たぶん深さ無限の谷なんじゃないかな。だって「1億年後に生き返りますよ」「そうか。安心して死ねるわ」ってなったらさ、「(実はウソぴょ〜ん。生き返るわけないじゃん!)」であっても、死にゆく人には同じですよね。これは"一生の問題"に見えて実は"いまここの問題"なんですよ。人は死ぬ前の一瞬に永遠を信じられたら幸福のうちに死ねるわけです。

生き返り(あるいは生まれ変わり)なんてのがあるのかないのか、人は知ることができない。でも死んでしまえばもうそんなのはどっちでも同じです。1億年後に生き返るか、1億年後に生き返らないか、それだけの違いでしかない。1億年後に生き返らなかったとしても、1億1年後にはもしかしたら生き返るかもしれないし、1兆年後には生き返るかも知れません。ずっと死んだままなんていう保証もないんです。もし時間が無限に続くものなら、あらゆるすべての組み合わせが起き得るのだから、いつかいまの自分自身とすっかり同じものが偶然に組み上がって、「あ、生き返った」ということが起きるはずです。って考えると怖くなくないですか?

でもこういうロジックじゃ中島先生は騙されてくれないんだろうな。おそらく、そんなのは自分を相手に際限なくやり尽くしてて、それでもなお納得できなくて死が怖いままなんだろうなぁ。ぼくもなにか別の手を考えなくては(別に聞いてもらってるわけでもないですが)。