すべての夢のたび。

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それは同じ一票だ

選挙についてだらだらと考えています。今回の参院選の結果のことではなく、もっと一般的な、どうやったら投票率は上がるのか?ということについてです。久々に、ものを考えてみる気分になっている。


人はどうして投票に行くのか? あるいは、行かないのか? 行かない理由はいろいろあると思うんですが、大きなものには「自分が投票に行こうが行くまいが何も変わらない」ということがあるのではないか、と考えています。たしかにね、自分が投票したから、しなかったからといって、その一票が候補者の当落に影響することは、事実上ほぼありません。

しかし、ちょっと考えてみて欲しいのですが、「自分が投票に行こうが行くまいが何も変わらない」って、これ、大変に厨くさい、中二病くさいセリフです。どうせ死んでしまうんだから何をしても無駄だ、みたいな言い回しに、どっかで確実につながっています。そのことに気づいたら、投票に行かない理由として似たようなセリフを吐いたことがある人は、ちょっと恥ずかしがって欲しいのです(笑)。だいたい、自分が投票に行ったって何も変わらないから、なんてのが、投票に行かない理由になり得るんでしょうか? だって、じゃあその他に、自分の好きなように世の中を作り変えられることが、ひとつでもあるんですか?(笑) そんなことができるのは「おうさま」だけではないでしょうか。


自分の一票が結果を変えることはない。それはほんとうです。たとえ一票差、10万票と10万1票での決着であったとしても、自分の投票が結果に影響したわけではないのです。なぜか? 家に帰って開票速報を見て「ああ、自分があっちに入れたら結果は変わっていたんだなぁ」と考える人が10万1人いたら、それは変ですよね。ほんとうのところは、当落を決定したのは最後の一票です。非常な接戦の場合でも、価値を持ちうる投票は実際、言葉どおりのただ一票しか存在しません。それ以外の票は、あろうがなかろうが結果に影響しない、まさにただの数字の積み上げに過ぎません。


ぼくの一票は結果に影響しない。ではなぜぼくは投票に行くのか?というと、ぼくの一票は結果に影響「する」からですね。ぼくはそれを知っている。だから選挙に行くのです。だって、行かない人がいる中で、一方には、立候補して票を集めて当選している人がいるわけですから。投票に行かなかった人の一票と、当選者に投じられた一票は、おなじものです。なのに、なぜ「結果に影響しないはずの一票」を集めた人が当選することが、起こるのか。

物の見方の差ですね。ぼくの一票は結果に影響しない。ぼくの一票は結果に影響する。どちらの見方も可能です。ではほんとうは、どちらなのか。「影響する」のです。こっちが実はほんとうなわけです。だって現に選挙が行われて票が集まって当選している人がいる事実は、否定しようがないじゃないですか。

「アキレスと亀」の話に、なんとなく似ている気がします。ほんとうに走ってみれば、アキレスは亀をらくらく追い抜く。なのに、亀にうまいこと言い包められているわけです。ここでは「自分が投票に行こうが行くまいが何も変わらない」が亀の言い包めに相当する。自分の中の亀が、自分の中のアキレスを騙してるんですね。そんな状態だろうと思う。

行っても何も変わらない。そう思って投票に行かない間に、投票で結果が変わることを知っている人たちが、立候補し、投票し、あるいは組織的に投票し、そして現に結果を変えてしまっている。それが現実だろうと思います。


……などとだらだら考えていました。当選している人がいて、その人が集めた票はあなたが投票しなかった一票と違うものではないんだよ。ただそれだけのことなんですが、うまいこと説明しようとすると、なかなか難しいことになってしまいますね。そしてこれではまだまだ問題アリのように思う。