すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

Amazonの荷物を直接クロネコ店頭で受け取り


すばらしー。ゆめのようなさーびすだわー。

いままでふつうに、当日に欲しいものをAmazonにお急ぎ便で注文するじゃないですか。すると、1回午前中に配達に来るわけです。でも当然会社行ってていないわけ。そこで不在通知がメールでiPhoneに来るから、すかさずコンビニ受け取りを指定。するとヤマト運輸が荷物をまたコンビニに持ってくので、会社帰りに受け取ると。だいたいこんなでした。

でもこれ、ヤマト運輸の人が一回うちに配達に来るのがまったく無駄じゃないですか。だから最初からコンビニ受け取りを指定したいわけです。でも、そうすると、配達がなぜか翌日になっちゃうんですよねAmazonは。だから迷惑を承知でいつも不在→コンビニ受け取りの流れにしてました。

それが、ヤマト運輸の営業所で直接受け取れるようになると。まぁ21時までに帰れる場合ですが。ぼくんちヤマトの営業所もコンビニもどっちも家から50mくらいなんでちょう助かる。これで営業所でその場で開封してAmazonのダンボールも引き取ってくれたらマジ神サービスなんですが……。


ところで先日これを買いました。

ANKERのiPhone 6 Plus用ソフトケース。2個で699円という激安です。これがやっぱり大きなダンボールに入って届くわけですよ。もちろんプライム会員だから送料無料で。ヤマト運輸でファミマ受け取り。

これいったいさ、ぼくがこれ買うことで、ANKER、Amazon、ヤマト運輸、ファミマの4社は、それぞれ何円ずつ儲けてるんだろうって話。買っといていうのもなんですが、やっぱちょっとなんかおかしくね?って思います。

跳びはねながら本は書けるのか

自閉症の僕が跳びはねる理由: 会話のできない中学生がつづる内なる心

自閉症の僕が跳びはねる理由: 会話のできない中学生がつづる内なる心


アプリじゃない物理的なKindle本体を持っていて、かつAmazonプライム会員になっていると、Kindleオーナーライブラリという、月に1冊無料で本を読めるサービスが受けられます。しかし対象の本は限られているため、買おうと思った本が偶然オーナーライブラリの対象だったときに借りる程度です。

この本もそうやって読みました。紙だと1700円。Kindleだと1100円。読みたいから買っちゃおうかなー、と思って商品ページを開いたところ、オーナーライブラリ対象でした。ラッキー、と思って借りて読みました。買うの躊躇してた理由は、この本価格の割に短いからです。1時間くらいで読み終わってしまう。


で、内容ですが。自閉症の人に対する見方を変えなくてはいけない本です。いままでぼくは自閉症の人というのは、頭がヘンでああいう行動をしているのだと思っていました。が、違います、とこの本は言っている。健常者と大きくは変わらない思考と感受性を持ち、勝手に暴走する身体をなすすべもなく内側から眺めている。そういうもののようです。体が勝手に跳びはねてしまうんだと。

なんか最近ありましたよね、植物人間状態の人にも実はふつうに意識はあって脳波はちゃんと反応してるってやつ(それはそれでものすごくこわいですが)。どうも自閉症も、それと似たようなものらしい。奇妙な行動からはまったくうかがい知れない豊かな内面が広がっているのだと。


ということだそうなのですが、ぼくは「ほんとうなのかなー」と思っています。いや、まあ、ぼくがおかしいのでしょうけど。Amazonのレビューも基本は絶賛!納得!見方が変わった!私にも自閉症の子供がおりますが!みたいのばっかしなのでぼくが変なのです。というか、この著者は他にも本出しているし、テレビにも出ているらしいし、他の人がこの人を見て書いた文章もあれば、この人が書いているブログもあると。そういうものにまったく触れず、自分で真偽を調べる努力をせず、ただこの一冊だけを見ての感想は、「ほんとうなのかなー」です。


ぼくは身体と精神(脳)は一体のものと考えています。この人は、暴走する身体の内に住みながら、どうやって健常者に伝わる言葉を手に入れたのか?

この本は、「ぼくはこう感じ、こう考えている」ということが書かれています。でもそれは「(健常者の人はこう感じ、こう考えるのだろうけど、自閉症である)ぼくはこう感じ、こう考えている」というふうに、カッコの中の部分が略されている。健常者はどう感じどう考えるのかを知った上で、それと比べる形で自閉症である自分のことを書いている。

どうして彼は健常者のことがわかるのか。ぼくには自閉症の人のことがわからないのに。

本を読んで知った? でもその本を綴っている、綴るために使われているいろいろな言葉の意味を、彼は自閉症の体の内側からしか手に入れられないはずなのです。


痛い、という言葉をぼくらはどうやって覚えたんでしょうか。何か痛みを感じる。でもそれを表す言葉があるなんてまだ知らない時があったはずです。痛みを感じる。自分が痛みを感じている時と同じ様なふるまいをする他人を見る。その口から「イタイ」という言葉が発せられる。自分も痛みを感じた時に「イタイ」という言葉を発してみる。それが肯定される。痛みを感じた時に別の言葉を発してみる。ちがうよ、と否定される。

想像でしかないですが、このようなプロセスを通して言葉は習得されていくものではないでしょうか。でも彼は、何に対して痛みを感じるか、どういう時に痛みを感じるかがそもそもぼくらと違い、そして痛みを感じた時にイタイという言葉を発することすらできないのです。それでどうやって、健常者の言葉を手に入れることができたのか?

一つの可能性は、彼が"奇跡の詩人"みたいな腹話術人形じゃないかってことですが、これはまぁつまんないので除外しましょう。ていうか多分映像見ればすぐわかるだろうから。

別の可能性として、彼の使う言葉の意味がぼくらの使う言葉の意味と違う、ということが考えられます。よくいう、あなたの見ている青とぼくの見ている青はほんとうに同じなんだろうか、みたいな話。実は別の色を見ているのだけど言葉でコミュニケーションする限りわからないだけなのではないか。そう、彼は、ぼくらに伝わる形式で文章を書いているけど、ぼくらが感じるのとはぜんぜん違う意味で書いているのではないか。たまたまそれがぼくらから見て整った文章に見えているだけではないのか。

また、もしかしたら、人間の使う言語の枠組みにはあんまり自由度がない、ということなのかも知れません。英語日本語中国語ヒンディー語といろいろあれど、覚えるとすれば予め遺伝子に定められたかたちでしか覚えられず、必然的に誰もが理解できるものになってしまうとか。

もうひとつ、彼の母親が非常に献身的であったため、きちんと言葉を習得できた、ということもあるのかも知れません。サリバン先生的な。これがおそらくは、求められる、美しい結論の気がします。


この本、最初は興味深く読んでいたのですが、半分くらいでぼくは飽きが来てしまったんです。なんというか、整いすぎている。自閉症の人に対する疑問質問、なんでそういうことをするの?みたいなのに著者が答えていく形式で書かれているんですが、背景に統一的な思想(実は自閉症って◯◯◯◯なんだヨ!)のようなものがあって、回答がすべてそこから来ているように感じられてしまいました。


機会があったら読んでみてください。そして感想を教えてください、って思ったんですけど、感想はAmazonに溢れてるしなー。ぼくのような歪んだ人はいないようです。なんだぼくが障害者か。

狭いところに住みたい


山谷。山谷と言えば安宿・ドヤ街、というイメージしかないのですが、まずショックを受けたのが「最寄り駅が南千住」だということ。えー。北千住に住んでたのになぁ。まぁ間に川あるしね。あと北千住もたいがいだけどね。なんとなく山谷は吉原の近くだろ、みたいに思ってたんですが。そもそも吉原ってどこだ。浅草の北くらいか。この辺本当に適当なので信じないように。

それで三畳一間に一泊2000円くらいで泊まれますと。それ1ヶ月泊まってもぼくのとこの家賃より安いですな。月で契約すればもっと安くなるだろうなぁ。

なんか狭いところに住みたくて。いまも狭いけどモノが多すぎるって思ってて。もうモノを減らすには物理的に狭いところに住むしかないんじゃないかって考えてて。これだけモノがあって、じっさいアクセス(手に取ること。見る・読む・使う等)するモノってめっちゃくちゃすくない。1ヶ月手に取らなかったモノが勝手に消滅する世界があればいいのに。

カプセルホテルに住んでみたい。一度。

ぼくとか家で料理とかまったくしないですし。外食か買ってきて食べるかしかないのでキッチンはいらないしな。そもそもいまも調理器具に近いものは電気ケトルと冷蔵庫(備えつけ)しかないしそもそも皿も箸もない(笑)。電子レンジくらい欲しい。あとシャワーとトイレあればいいよね。洗濯はコインランドリーもいいんじゃないのか。

それで、ネットができて、本とアニメは全部物理媒体ナシですごせば、すごせるんじゃないだろうか。他に何かいりましたっけ? いらないような気がするなぁ。


それかあと、羽田の近くに住みたいなーってのがあります。これは狭いところに住みたい欲とは全然別で、休みの日とかに日がな一日飛行機の離着陸見てすごしたい。あれ。もしかしてこれは空港のそばに行ってやってくればいいのかな。一日で飽きたりして(笑)。

傷心の猫様


可哀想(笑)。これ、悲しそうっていうより、呆然としてる感じですね。眼の前のものを見ていない眼。魂抜けちゃってる。

猫の顔にこれだけ表情を感じるのは不思議だなって思って。絵で人の顔を描く時って、主に眉や口の形で表情を描き分けてる印象あるけど、猫だとほぼ眼だけですもんね。眼は口ほどに物を言うってやつか? 眉のあたりの筋肉の動きとかを見る側が感じ取れてたりするんだろうか?

動物の表情って、そう思って見るからそう見える部分もあるんでしょうけど、でもそれだけじゃないですよね。嬉しい、悲しいみたいなのは、見て明らかにわかる。人間はそういうのを敏感に区別できるようになってるんだろうけど、動物同士でも表情でのコミュニケーションってあるんだろうか。まぁ威嚇とかは分かりやすいでしょうけど、こういう微妙なのはどうなんだ。

そして、人と人以外の動物のあいだで、表情が伝える意味がおなじであるってことが、またすごいなぁと思います。猫と人の共通の祖先ってどこまで遡るんだろう。そしてもちろんそれよりずっと前からこのしくみはあったんでしょう。

羽生選手の選択

ぼくはひとことで言うと、試合出場を選択した羽生選手を支持します。理由はシンプルで、自分の人生の責任を取るのは自分しかおらず、誰も他人の人生の責任なんか取れやしないからです。

脳震盪とか危ないから止めさせろ、という人が多かったのですが、そういう人たちはそれを羽生選手のまえで本当に口に出せるんでしょうか。自分が最終的に権限を持つ立場だったら「止めろ」って言えるのかな。

仮にそれが羽生選手の最後の試合になってしまったとして、後から「どうしても出たかった」「後悔している」って言われたらどうするの?

そこでまぁ、信念を持ってなにかを言い返せるぐらいならいいんですけど、危険だから、亡くなった例もあるから、程度のことで止めに入るのはよしたほうがいいと思います。勝負の世界とかそんなぬるくないと思う。どれだけ調整を重ねてあの一戦に合わせてきていることか。その後の人生のすべてよりこの瞬間がだいじなこと、っていうのはあるはず。

もちろん、そうではなかったかも知れないですが。でも、わかんないでしょ? わかんないなら口挟むな、ってことです。もちろんもちろん、そこで口挟むことを選ぶ、ってのも貴方の人生の選択ではあると思うけど、ぼくはそういうのを無粋と感じる人、ということです。

幽霊がいるように感じたらしい話

文化違えど、世界中のどこにでも存在する幽霊。その幽霊をスイスの科学者たちが人工的に作り出すことに成功しました。

幽霊の正体は、脳内の錯覚によるものでした。

研究者らは、被験者の脳の感覚信号に干渉するロボットを用いて実験を行いました。実験参加者に目隠しした状態で、ロボットを使って幻の存在を作り出しました。

幽霊は存在するのかしないのか。いずれにせよ、それは科学的に説明できるものじゃないかと思います。存在するならするで、どういう原理で存在するのか説明できるはず。物理的実体がないとぼくらの目に見えたりはしないだろうし、地球の自転公転についてこれずあらゆるものをすりぬけて宇宙空間に置き去りになってしまいそうな気がします。実体があって相互作用があるからこそそこに存在し見えるようになるはずで、つまり科学的に説明できるものじゃないとおかしい。

まぁそれは、いる、とした場合の話で、いない、とするなら、それもまた科学的に説明できるはずです。つまり何らかの錯覚だと。

今回のこの記事はそういう実験の話だと思って読んでたんですよね。電波とか超音波とか磁力とか、なんかわかんないけどそういう類のなにかで脳に外部から干渉し、錯覚を起こさせて幽霊の存在を感じさせる実験。

ところが……。

その結果、2人の参加者は幽霊に囲まれている錯覚に陥り、狼狽しながら実験を止めるように求めたといいます。さらに後ろから指型ロボットで触れたところ、参加者は誰もいないにも関わらず、4人の幽霊が存在すると感じました

おい。指でつつくなよ。だめだろそれ(笑)。「誰もいないにも関わらず」じゃねえ、ロボットいるだろ!(笑)

実験の参加者は、目隠しされた状態で背中をロボットに触れられただけで、誰かに背中を撫でられたような錯覚に陥りました。

誰かにじゃねえ。ロボットに撫でられてるよ!(笑) ぜんぜん錯覚じゃないよ!

なんだこれ。上の一文とかすげえマヌケな気がするんですけど、なんなんでしょうか。いったい何の実験がしたかったんでしょうか。翻訳が原文のニュアンスを伝えきれてないのかなー。これじゃお化け屋敷じゃないですか。客にイタズラをすることでお化けがいるように感じさせることができるんです。

エボ爺とぼく

残業してるあいだにいろいろあったようですね……。

エボ爺がクズすぎる件wwwwww : 妹はVIPPER

エボ爺38.0℃の熱が出て医療機関を受診
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エボ爺はリベリア渡航歴を医者に言わず、医師は解熱剤を処方し帰宅させる
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保健所から男性はアフリカからの帰国者との連絡が医師に入る
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保健所がエボ爺を新宿の病院に連れて行く
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医師は病院建物を封鎖
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新宿の病院から町田の自宅へ勝手に帰宅ラッシュで満員の電車で帰宅
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マスゴミが病院に駆けつけ医師に「なぜ帰宅させたのか?」と攻め立てる
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医師は「西アフリカからの帰国者とは知らなかったとは言え申し訳ない」と謝罪
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男性が発見され保護


……これほんとエボラだったらどうすんだよ。ひでえ話ですね、と思う。結局陰性だったから良かったようなものの。

とは言え、気持ちは解る。人間は、とは言わない、ある種の人は、ぼくもそうだけど、やべえ状況にハマったと感じたとき、そう綺麗には生きられないもんですよ。逃げるよ。人轢いたら取り敢えず逃げるわね。ぼくもインド帰りの時腹壊してたんだけど、それを成田では言えなかったですよ。赤痢とかだったら消毒!隔離!だもんね。言えなかった。ちなみにその下痢はその後3週間ほど続いたという……。

だがそれでも、自分のことは棚上げしといて他人を責めるのが真のクズである!と言うことで、やっぱエボ爺だめだろこれ(笑)。ラッシュの電車で帰るなや。

ちなみに、自分がエボラかも?と思ったら、行くべきは病院じゃなくて保健所です。これ知らない人多いらしいのでお間違えなきよう。