すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

なんだかイラつく白いアレ

さいきんになって、「ホワイトバンドは寄付じゃなかった!」なんて騒がれはじめて、いまごろ…感を強くしています(や、この文自体いまごろ感濃厚ですが)。


まず、それは、最初から「寄付じゃない」ってWebに書いてあったわけで、たしかに売っているバンド自体にはそう書かれてはいなかったみたいだけど、どこがやってるのかくらいは調べてみてもいいんじゃないかと思うのです(URLが書いてなかったか?)。お金の行く先とか気になんないのかな? で、仮に寄付だったとしても、どうなのか? 300円のうち、いくらくらいが寄付に回ると買う人は想像するのでしょう。たとえば200円として。そして「飢餓」といえば「アフリカ」として(「韓国」といえば「キムチ」レベルの発想)。いくらアフリカの物価が安いからって(またこれも調べもしませんけどね)、200円は人ひとりの1日の生活費……にもたぶん足りないでしょう。とてもとても、残るモノが買える金額ではない。

その程度の寄付をした「証」として、ホワイトバンドを何日も手首に付けていて、見てもらいたかったのかな? まぁ、せいぜい1日で外すのが妥当なところじゃないでしょうか。うちはそれ以上はムリ。赤い羽根さえ恥ずかしくて寄付できないのに(いらないって断るのもなんだか悪いじゃないですか)。そして、そんなレベルの寄付さえもされてなかった!って調べてなかったボクもアレなんだけど…ってことをごまかしたい・認めたくない逆ギレ?が、いまの「騒ぎ」なんじゃないかなぁ、と感じるのですが、どーでしょうか。

つか、途上国の貧困解決にコミットするって態度を表明する、って主旨に納得できたら、そのまま付けてりゃいーじゃん、と思うんだけど。そんなの抽象的すぎて解らない、んでしょうか。それとも、モノとかカネをアゲルのがスキなのか?


で、さらによくわからないのが、なんでうちはホワイトバンドの件にこんなに引っかかるんだろう…ってことです。どこに・どこが刺激されているんだろう。うちにもきっとなんか自分のなかで見たくないモノがあるのでしょうね。

3年B組のみんな

 岩手県種市町有家の海岸で29日、同町立中野中学校3年B組の生徒全員と担任教諭が23人乗りのサーフィンに挑んだ。縦8メートル、横2.4メートルの巨大な特注ボードは、県内の看板製作会社が2週間かけて発泡スチロールで仕上げた。


すごいすごい。満ち潮で岩に取り残されて、救助を待ってるようにしか見えない。

タンクに潜るの巻(その3)

今日もアイソレーション・タンクに入るためにeccoへ行ってきました。

……まぁそんなに変化があるわけでもないのでそうそう書くこともない、んですが。腕は痛くなくなった。ずっと「きをつけ」姿勢をキープできるようになりました。呼吸しにくい感じも気にならなくなった。漂って周囲の壁にくっついてしまうのもそれほどは。

その代わりに今日、最後まで駄目だったのが、自分の心音。耳をふさぐとピーンというかツーンというか鳴ってるような音があるじゃないですか。耳の穴の途中まで水が入ってるんで、そうなるんですけど、その上さらにそこに増幅された心音が乗る感じ。心臓の鼓動に合わせて体も揺れてるから、気になりだすと止まらない。しかし胸に手もあてずに、音でも「拡張」と「収縮」のどっちかわかるんだなぁ、と感心しました。というかそんな考察してないで、拍動を数えるとかに集中すれば意識がそっちに向いたんでは? と思ったけど遅い。今日も1時間はあっという間でした。耳栓でも導入した方がいいのかな?

そんなわけで、「夕方って邪念が溜まってんじゃないの?」という説を自分向けに提唱してみたので、次回は午前中に行ってくることにします。