すべての夢のたび。

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スルー力の3レイヤー性

http://b.hatena.ne.jp/ululun/20061111#bookmark-3210048

スルーカの足りないブックマーカー、スルーカが足りないと言いながらエントリに上げるスルーカの足り無さ。そしてそれをブックマークしてしまうオレのスルーカの足りなさ。嗚呼。


というブクマコメントをいただいたので、今日は標題の「スルー力の3レイヤー性」について考えてみたいと思います。と、その前に、まずメッセージの3レイヤーについて説明します。

メッセージの3レイヤー

  1. 外見
  2. 内容
  3. 空気


1番、それは「これがメッセージであるという象徴」のことです。例えば石ころが地面に転がっていても別になんとも思わないですけど、“×”や“→”の形に並べてあれば、誰かが何かを伝えようとしていることがわかりますよね。ブログならこれは、コメント、TB、ブクマなどに相当し、まぁ一般的にはすぐわかるような形で現れます。2番は、そのとおりのこと、書かれているものそのもののことです。3番、それは「言外の意味」、例えば「疲れているならブログ止めれば?」という一文は、あなたはどうも疲れているように見えるから少しブログを書くのを休んだ方がいいのではないですか?ということではない、というソレのことです。


で、思ったのは、このメッセージのレイヤーそれぞれに対応するスルー力のレイヤーがあるんじゃないかな?ってことです。つまり、コメントがあった、レスをした、「スルー力が足りない」と言われた、しかし実際はコメントの内容自体は華麗にスルーしてぜんぜん別のことをレスに書いてるとか……いやこれ普通にあるっしょ。

イヤゲなコメントやエントリにレスをしたときに言われる「スルー力が足りない」は、通常は1番の「メッセージの外見」に対するスルー力のことを言っているわけです。しかしおそらく、最も重要なスルー力は3番の「空気/言外の意味」に対するそれじゃないでしょうか。まぁ、あんまりこのスルー力を発揮し過ぎて2番の「内容」ばかりに反応してると、ほんとは解ってる癖になんか嫌らしいやつだと思われること必至、ではあるのですが。

3番が重要っていうか、1番のスルー力が受動的な力であるのに対し、3番のスルー力はむしろ積極的に運用して効果を発揮することができ……ってそれもしかしてぜんぜんスルーしてないんじゃないのか? まぁいい。逆に3番のスルー力が足りない状態がいわゆる「クリリン化」を引き起こすことがあるのだと思います。2番はどうなんだろ。いい例が思いつかない。つーか2番はスルーしちゃいけないのかな、顕わなものだから。下手すると単に「読解力がない人」「不作法な人」に見えてしまうかも。

やじうま洗脳合戦Watch

水伝関連の議論は次のように置き換えて読むと一層楽しめること請け合いです。今後出てくるエントリでお試しあれ。

  • 水伝 → 新興宗教
  • 科学 → 伝統宗教
  • 実験 → 奇跡
  • 「誰でも奇跡が起こせる!」という触れ込みで着々と信者を集め、急激にその勢力を拡大中の新興宗教「水の教え」。
  • 一方、特に目新しいところもないように見える新勢力の台頭に危機感を募らせている、長い歴史を持つ宗教「ブツリスト教」。その教義の一部を「水の教え」が取り込んでしまっていることにも懸念を持っているようだ。
  • 水の教え教祖 「『水の教え』はポエムだと思う」
  • ブツリスト教神父 「『水の教え』を信じないでください! 『水の教え』はエセ宗教です! 私の言うことを信じてください!!」
  • ブツ教の一般信者 「やるべき事はひとつだろう。『本物の奇跡』を起こして見せちゃえばいいじゃん」
  • ブツ教の熱心な信者A 「何を言ってるんだ! そう簡単に奇跡なんて起こせるものじゃないんだよ! そもそも奇跡が起きるためには色々条件があって(以下奇跡とは何かについて延々)。だいたい君はブツ教の教えについてなにも解っていない。いいかい? ブツ教というものは(以下説教を延々々々)。べ、べつに、奇跡が起こせないとかそういうことじゃないんだからね!」
  • 一般信者 「(UZEEEEEEEEEEE! ハナシNAGEEEEEEEEEEEEEE! アタマKATEEEEEEEEEEE!!)」
  • 熱心な信者B 「そこのお前! 教義の基本すら理解せず神父様に意見するとは何事だ! 出直してこい!」
  • 熱心な信者C  「このままではいけない……。皆にもっとブツ教の美しさ、素晴らしさについて知ってもらう必要がある…………」


ぼくは外野です。外野にもいろんな人がいます。無宗教の人。他宗教の人。日曜信者。信仰心は篤いが教義には詳しくない人。付き合いで教会に行ってる人。隠れ「水の教え」信者。

ブツリスト教の慈悲は世界にあまねく広く行き渡り、事実上世界はそれなしには立ち行きません。しかし、そこに問題があるんですね。その恩恵・威光は信者でないものにまで及んでいる。別にブツリスト教の教義を知らなくても、教えを信じていなくても、「TVは映る」。ほとんどの一般信者はその教えが素晴らしいから入信しているわけではなく、単に実益があるから付いてきてるだけなのです。あと「生まれたときからそうで、まわりがみんなそうだから」とか。

と考えると、「水の教え」に入信してしまった連中はまぁほっといて、一般信者への教育に力を注いでいくのがやはりいいのでしょうかね。とはいえブツリスト教の教義はもはや一般信者の手に負えないほど複雑高度化しているものもある。また、「教育とかそんな悠長なこと言ってる場合なのかなぁ……?」ってのが一部一般信者の心配してることだと思う。