すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

いたほうがたのしいと思う

宗教はギャンブルか!?

パスカルくんはむかし、こんなことを言ってたようです。上の記事から引用させていただきます。


「人間は考える葦である」で有名なパスカルは、賭けろ、といった。
人は、死ぬまで神がいるかどうかはわからない。
でも、神がいるかいないか、はっきりしなきゃだめだ。
だから、自分の人生をどちらかに賭けろ、と。
そこでいろいろ計算が働く。
神イルに人生を賭けたら、勝ったら永遠の生命と幸福が手に入る。負けたら、これまで信仰のためにやってきた全てが無駄になる。
神イナイに人生を賭けたら、勝ったら現世の楽しさが手に入る。負けたら、なんと、永遠の苦しみだという。神を信じない罰を受けるのだと。
さあ、どっちに賭けますか。
ふつう、理性的に考えたら、神イルに賭けるでしょう。ね、神はいると思って暮らしましょう。


じつはわたしも、以前にほぼ同じような論理で神イナイ派の知り合いと議論したことがありました(ただし、わたしが「イル」と思ってる論拠はこれじゃないです)。パスカルくんがずっと前に同じようなことを言ってたと知ったのはつい最近です。

でもね、パスカルくんはちょっと間違ってると思う。神イルに賭けて負けた(いなかった)場合でも、やってきたことは無駄にならないと考えてます。たとえば人のために為した「善きこと」は神がいようがいまいが、それだけで「善きこと」であり、価値があります。神がいようがいまいが善くないことは善くないことです。結局まぁ、結論は同じで、神イルに賭けてくらしたほうがお得でしょ、ってなるんですけれど。(極端ですが、わたしは神がほんとうはいなかったとしても「人が神に祈る姿」は美しいと思います)


面白そうなblogはないかな〓とうろうろしてて、上の記事の掲載元である『優閑想』にたどりつきました。「神はいるのかいないのか」みたいな、わたしなんか躊躇するかなりデリケートな話題をとてもていねいに扱われていて、好感を持ちました。問題への向き合い方が真摯で、うちなんか「ごめんなさい」って感じです。(まぁ、もう性格なのでこのままいっちゃえと思ってます)

ただ……記事を読んでいってふと感じたのですが、“ゆう”さんは「信じたい」というような意味のことをよく記事に書かれてるのですが、じつはすでに「信じてる」人じゃないかという印象をときどき受けるんですよね。いえ、ご本人がそう考えてないのならそうなんでしょうけれど。

そんなわけで巡回先がひとつ増えました。


デカルトさんとパスカルくん
この本のせいで、どうしてもさん付けくん付けで呼びたくなってしまいます(笑)。