すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

倫理のちょっと外側より

以前から書こうと思っていたことなんですが、ちょうどいい例があったので、文章にしてみます。

「倫理の外側に立っている人には、倫理の内側の言葉はむなしい」


例は、わたしがいつも拝読させていただいている日記『綾川亭日乗』より飛んだ先にあった『メモ』の、2004/12/30の記事です。

要約するとこんな感じです。aさん(綾川さん)がhさん(hiepitaさん)のテキストの一部を自分の日記に引用したのですが、出所を明示しませんでした。そのことについてhさんが「引用元を書くように」とaさんに言ったところ、aさんは「折角のお話ですが、ここは私の勝手を押し通させていただきます。(=引用元は書かない!)」と言ったという。(このaさんのパーソナリティや「書かない理由」はかなりわたしの関心を惹くところなのですが、この文章の主題とは無関係なのでおいておきます)

さて、aさんに期待外の反応をされたhさんは、無断複製はいけないのだ、ということをaさんに語って聞かせたらしいです。「らしい」というのは、そのあたりの詳細な記述がないためですが、記録記事へのリンクがあったことから推測しました。*1

そして、わたしの考えは「hさんの『無断複製はいけない』と言う対応は意味がない」です。


たとえば、なにかチームでやる競技のプレイ中に、ひとりが「ああもう飽きた。疲れた。帰る」と抜けようとしたとします。そのとき、「勝手な途中退場はルール違反である」と言って止めようとしても「は?」という顔をされるだけではないでしょうか。

紛争地におもむこうとする傭兵の人を止めるのに「危ないからやめなよ」と言ったり、池田小事件の宅間守氏に「子供を殺すのはよくない」と説くようなものです。*2 すでに枠の外側に出てしまっている人に対しては、枠の内側でしか通用しない論理は無効であり、機能しないのです。aさんはルールを知っていて破っているのだから、そこで再度ルールを説いてみる意味はない、ということです。ほんとうにルールを守らせたいなら、さらに大きい枠に組み替えるか(はてなの規約や著作権法を引くのではなく「人としてどうなのか?」と言うとか)、実力行使に出る(はてなに直接訴える、脅す、晒す)などの方法を取る必要があるのではと思います。


わたしははてなが好きで、はてなの近藤さんの日記も読んでいていちいち「さすがだよなぁ」とかうなずいたりしていますが、仮に、どうしてもこのblogで主張せずにいられないことができて、それをやるとはてなの規約を破ってしまうとしたら、そのときは自分を優先させるのではないかと思います(と書いたことで「思想犯」で退会させられないといいけど)。もちろんその前に、規約違反を理由に強制退会させられたらとか、訴えられたらどうしようとか、近藤さんごめんなさいとか、ひととおりの葛藤はあるはずです。そういった覚悟を持ったうえで「よし!」と記事を掲載したところに「規約違反ですよ」ってコメントがついたら「へなへな」します。(「へなへな」させることが意図なら、そういう対応も有効なのかもしれません)

ときおりweb上でこういった対応をされている方を見かけ、そのたびに「やれやれ」と思ってしまうので、少々書いてみました。

*1:5/20追記:実際は少々ちがっていたようです。andyさんのコメント参照のこと。

*2:宅間氏の死刑が、確定からかなり短期間で執行されたことについて。そういうことが人の意志で左右されるのは怖いしマズいなぁと思う反面、「なんだ、ほんとうの危機ならちゃんと対応できるんじゃん、日本政府」と少々関心したのも確かです。生きている限り不道徳な言説をまき散らしていたでしょうからね、彼は。これが「枠外の人への実力行使」の例です。