すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

マジレス

縁 より レーティング云々はともかく。
id:Hayashidaさんの日記の ヴィデオゲームと犯罪。に関するエントリです)

という事ならば、新兵教練シミュレータは「できる」様にするためのものであり、そういう意味ではフライトシミュレータと同じという事になると思います。
「躊躇なく引き金を引ける」からといって「引き金を引く」とは限りませんし、「引き金を引いてよい」とも限らないでしょう。「引き金を引ける」事=「引き金を引く」事だとしたら、訓練された兵士の皆様には二度と街中を歩いて頂くわけにはまいりませんしー。


新兵教練シミュレータ(こちらをご覧ください)とフライトシミュレータの違うところは、後者が技術的訓練なのに対し、前者は心理的訓練であるところです(ってHayashidaさんがすでに書いてるんですが)。飛行機は訓練しなければ飛ばすなんてほぼ無理だけど、銃は引き金を引けば弾は出る、という点で、技術的難易度は格段に低いわけです。

“「躊躇なく引き金を引ける」からといって「引き金を引く」とは限りませんし”と楽"さんもおっしゃってる通り、その「心理的障壁」を破壊するのが、新兵教練シミュレータの役割なのです。銃を撃つには、「したい」はなくとも「できる」わけで(ここが飛行機と違う)、「してよい」の境界線を強引に下げさせ、「する」をやりやすくしてしまうものなのです。だから、ほんとに、訓練された兵士は街中を歩かせないほうがいいと思いますよ。彼らはきっと、存在の危機(襲われたとか、あるいは、お金がないとか)において、ふつうのひとより、引き金を引く時に抵抗を感じにくいと思います。


この問題に関しては、楽"さんがもしもビデオゲームを弁護する立場を取りたいのなら、もっと別の観点から書いたほうがいいんじゃないかと思いました。そうでないなら、うーん? この2つの記事、ふつう、楽"さん的意見を見て、Hayashidaさんが書いた、って順番のほうがあってるような感じを受けます、内容的には。

どうしてもオチを付けなくてはいけないような気になるのはなぜなんだ…。