すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

論理のはじまるところ

東京猫の散歩と昼寝 より じゃ、そろそろ、まとめに入ろう

宇宙広しといえど光の速さや重力は変わらない。それでも、この宇宙を超えた別の宇宙などというものを空想できるなら、そこでは光速度や重力すらこの値でなくてもよい。では、その別の宇宙において、数学や論理はどうなってしまうのだろう。たとえば、π(円周率)が3・14…でなくなったりもするのか。「aがbに含まれ、かつ、bがcに含まれるならば、aはcに含まれない」が正しくなったりもするのか。私はどうも、数学や論理だけには絶対の普遍性を感じてしまうのだが、実際どう捉えるべきなのか。


いつも拝見させていただいている日記が好みのテーマを語られてましたので、反応してみます。というより、これをネタにして「すべての人向け」に語ってみます。


わたしは、数学や論理には普遍性はない、と考えています。世界が論理的に見えるのは、「ものごとに規則性を観てとってしまう」人間の脳が見せている夢だ、と。(これは、人間原理のエントリーより上位のレベルの話です)

ウィトゲンシュタインは『確実性の問題』のなかで、こう言っています(と、tokyocatさんも読まれてる『ウィトゲンシュタインはこう考えた-哲学的思考の全軌跡1912~1951 (講談社現代新書)』(←すごい本!)に書かれています)。

「具体的判断がくり返しなされる中で、誰がやってもほとんどいつも同じ結果になる判断は、いわば次第に化石のごとく硬くなり、そのうちに完全に固定化され規則となる」


ウィトゲンシュタインは、数学や論理でさえ、人間が作りあげた規則だ、と言ってしまうわけです。わたしもこれに同意します。

たとえば、ここがファンタジー世界で、誰でも魔法が使えるとします。すると、林檎1個と1個が、1+1が、2だったり3だったり4だったり100だったり、1だったり0だったり、という事象が日常的に観測されるわけです。こういう世界では、わたしたちの世界と同じような数学は“成長”しないでしょう。どういう数学?になるかはわかりません。で、ある日、「実は、魔法は聖なる力(波動エネルギーでもマナでもなんでもいいですが)を借りてきて実現していたのであって、無限じゃなくてプラスマイナスゼロだった」という、エネルギー保存の法則のようなものが発見されたとします。すると「でも、普段はそんなの気にしなくていいよね」というふうに、その法則は相対性理論並みの扱いになってしまうのではないかと思うのです。で、日常では謎数学を使い続けるという。

たとえば、不確定性原理が、巨視レベルで観察できるものだったら? シュレディンガーの猫のようなものを人間が直接観測できていたら? 数学や論理学は、現在とは違って、はじめからもっとあやふやなものを繰り込んだ形で「固定化」した(もしくは倫理学程度のものにしかならなかった)のではないでしょうか。そして、宇宙は広いので、そういう存在、わたしたちと異なる世界を観ていたゆえ、異なる数概念や論理概念を持つに至った存在がいないとも限らないな、とわたしは考えています。


バタフライ効果というものをご存じと思いますが、これの説明に使われる「天気の話」は、ほんとうは遙かにスケールが大きなものなんです。地球から数万光年はなれた惑星で小石が転がった程度の重力波でも、それが地球に届けば大気中の分子を揺らすのには充分だそうです。ましてや、惑星や恒星や銀河の重力波なら? そりゃ、天気予報が当たらないわけです。(とはいえ、わたしが手をぶんぶん振り回しても明日雪が降ったりはしないでしょうけど) でもこんなふうに、現実には、「ひとつぶの原子」の動きを記述するためにも、おそらく宇宙中の他のすべての原子の動きを計算に入れる必要がある。ひとつぶの原子でさえ、見過ごされてはいないのです。だから、どこまでいっても、大統一理論ができても、それで記述される宇宙は、理論値・近似値にすぎないでしょう。(もちろんそれでまったく充分なんですが) 人間は、自分に見える範囲を切り取って、その中で通用する規則を見いだしているだけです。

ボールを投げると、落ちてくる。それは、世界とはそういうものだからです。もう少し言えば、空間や物質の性質がそうなっているからです。けっして、物理法則がそうなっているからではありません。物理の法則は人間が「発明」したものであり、自然に内在するものを「発見」したわけではありません。世界は物理法則にしたがって動くのではない。宇宙の果ての向こうだか世界の裏側だかに超巨大コンピュータがあって、ボールを構成する原子のひとつひとつについて毎秒n万回の演算を実行し、その結果通りにボールを動かしているのではないのです。ボールは、ただ動くのです。


こんなふうに、数学や論理は宇宙の法則ではなく、人間のものの見方(ローカルルール)なので、宇宙のどこに行っても、ブラックホールの中に行っても、ビッグバン以前に行っても、それを人間が見る限りは論理の規則は成立する(成立してる規則を適用してしまう)だろうし、円周率は3.14…だろうと思います。ただ、円の直径と円周の比については、「それを人間語に翻訳すれば1:3.14…になっている」のは変わらないのではないかと感じますが、もしかしたら、たとえば円周率を無理数ではないと捉える存在や、直径円周比が1:3.14…に見えない存在もいるかもしれません。それはいったいどういう存在なのか?は、人間の論理を使って考えざるをえないわたしには想像の埒外ですが。