すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ないこともない

東京猫の散歩と昼寝 より じゃ、そろそろ、まとめに入ろう(5)

穴とは何か。「ない」という状態をあらわす言葉だ。しかし「ない」という状態は「ある」という状態のネガとしてしか成立しない。ドーナツが存在してこそドーナツの穴は存在できる。我々は「ない」という状態をそのようにしか把握できない。言葉のアヤではない。人間以外の生物にとっても、「ない」に当たる感覚というのは、「ある」に当たる感覚がなければ生じてこないにちがいない。

さて、では、そもそも<「すべてがない」のではない>のは、いったい何故なんだろう。なんでこの世が「ある」のだろう。


まずい! いつか書こうと思って取っておいたネタを、tokyocatさんに先に書かれてしまう!

14歳からの哲学(の最後らへん)
嫌いでないならば好き?


わたしたちがふだん「ない」と言うときは、ベン図の「円の外側の、色の塗ってない部分」について言っているわけです。それは、「ない」けれど、なにが「ない」のかは、わかっている。「ある」と「ない」を分ける境界線は存在する。「なにか」の輪郭は存在する。しかし、tokyocatさん(そしてわたし)が語りたい「ない」は「ベン図そのものがない」、という状態なのです。または、「ベン図の外枠の“長方形”の外には何があるのか」ですかね。

この先はもう言葉がない(用意されてない)ので、言葉を創りながら語っていかなくてはいけない、ような気がして放置していたんですが、tokyocatさんが書いちゃいそうです。まぁそれならそれでいいや。「科学の人」はtokyocatさんが語ろうとすることを理解するのが難しいのではないかと思いますが、最低でもここに読者が1人います。