むかしはてなでそういう質問をしたころよりは、いまのぼくはちょっと考え方が進んでて、
「できることはしてよい。というか、できることは、できる。ただそれだけ。けれどもまぁ世の中にはルールとか常識とかあるので、それらと衝突するのなら責任は自分で負え。でも基本的にはやられたくなければやられる側が対処すればいい」
ぼくにおいてはこれが殺人の場合も適用される。つまり、殺してよい。というか殺せる。でもぼくにはメリットよりデメリットが大きいのでやらない、というだけかなと。いや、件の質問に対する回答でこういうことを言って下さっていた方は何人もいたように思うのですが、あの時のぼくにはまだきちんとした形で納得することができなかった、ということでしょうね。成長したらしい。
世の中には説明の要ることと要らないことがあって、
その質問は後者のカテゴりーに属するでしょ。
なぜ「りー」がひらがななのか。それはおいといて、なぜ説明が要らないのかは、質問されてはマズいからであって、なぜマズいのかというと、理由がないからです。殺人禁止は究極的には単なるルールであり、将棋の二歩、同じ列に2枚目の歩を打っちゃいかん、というのと変わらない。
で、ぼくは外来のルールに縛られるのではなくて、自分で「殺さない方を選択する」ことにします。このほうがずっといい。でも興味がないわけではないので、例えば、拳銃で自殺しようとしてる人にばったり出くわして、「撃ってみる?」って言われて、発覚する恐れがなさそうなら、「貸して」って言うでしょうね。そのへんまでは想像できる。