すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

銀色

きのうの話(平面に表されたZ軸のありやなしや)ですが、銀色に例える、というのを思いつきました。

銀色、としか表現できない〈色〉を持った物体があったとして、まぁそれはもちろんデジカメで撮影できて、そしてモニターに映し出すことができます。ということは、それ、モニターに映し出されたやっぱりどう見ても銀色に見えるその銀色、は、Red/Green/Blueの光の3原色から構成されているわけです。

もちろんカラーパレットに銀色などはないのであって、なんかすこしふしぎです(絵を描く人には当然のことかもとは思う)。別にモニターでなくても紙の印刷物でも銀色は表現されています(時にはモノクロページですら)。光の反射の具合で銀に見えるんでしょ、と言われても、他の色、赤だろうが青だろうが緑だろうが混色だろうが、そいつらだって自ら発光するものでなければ反射光で表現されたものであり、そこに差はありません。それにそもそも人間の網膜の視細胞(錐体)がR/G/Bのそれぞれに反応する3種類しか存在しません。銀色に反応する細胞なんてものはないのです。

というわけで、「銀色」とは、脳が作っている感覚です。とは言え、どうしても、銀色、としか表現できない〈色〉を持った物体はあり、つまり、だから、「銀色はある」とも「ない」とも言えるでしょう。


モニタ上の1ドットでは銀色は表現できません。ある程度の面積が必要になる。ドットとドットの間の「色」と「配置」の関係が「これは銀色だ」という感じを生み出す。「銀色」は「意味」と呼ばれるものに近いものなのかもしれません。