すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

カルデロンのり子さんがどうでもいいや

例の件についてすこし考えてみた結果、そういうことになりました。それにしても「いつまでやってんだ」ですよね。

以下、ぼくの個人的な考え。

まず大原則からいって、一家は帰国するべきだし、しないと言うのなら強制送還してもよいと思う。これはルール。一方で、ずっと日本にいたのに帰れとか、娘おいて帰れとか、それは可哀想なんじゃない?というのもある。「ルール」と「可哀想」がぶつかる時、どちらを優先するのか?という話だ。

で、結論から言うと、どうでもいいとぼくは考えているらしいという。まず、判断材料がないのだった。ルールは、そうしないとなにかマズいことがあるから制定されているものだ。今回の場合は「なんだ、結局ゴネ得かよ」という印象を世間に与えるのはマズい。のり子さん一家はokだったのになんで私はダメなの?という人たちがわらわら来たときどうするのかと。しかし、そういうケースや、その他在留を認めたときのデメリット、それらが結局どのくらいのものなのか、ひどく莫大な影響があるのか実際はそうでもないのか、ぼくにはよくわからないんだった。

逆に、一家の在留を認めた場合。これは一家にとってはもちろん素晴らしいことだ。だがしかし、それ以外になにがあるのか。2万人の署名を集めた? よろしい、でもそれはただの同情票だろう。「可哀想」なのは誰でもわかる、が、あなたたちの言うのはただそれだけだ。そこに法を曲げるデメリットを上回るメリットがあるのか。「可哀想」では法を曲げるには弱すぎる。 もっとほかに、一家の在留を認めた時のメリットをきちんとアピールすべきではないのか? と思うのだけど、それが為されないのは、まぁきっとおおっぴらに言えないメリットがあるんだよね、ってことなんだろうなぁと思ってしまいますよ。しかしこっちも、結局そのへんの影響がなんぼのもんなのか、ぼくにはよくわからない。

で、ちゃんと調べれば、きっともう少し状況が見えてきて、帰国させるべきか例外を認めるべきかぼくにもはっきり言えるんだろうと思うけど、そこまで調べるのが面倒なんですね。つまりそれは、こんな事件どうでもいいですとぼくは思っているからに他ならないからだろうな、と。ぼくは自分をそう理解したという、そういう話でした。

「ルールとはいえ、可哀想ではないのか?」と言われたら、「可哀想とはいえ、ルールだからな」と返す。「可哀想とはいえ、ルールだからな」と言われたら、「ルールとはいえ、可哀想ではないのか?」と返せばよい。こんなのは言い方の話で、どうでもいいし、関係ないのだ。


そしてどうしようもない話をする。ぼくが「ルールだから強制送還も致し方なし」と言うとき、そこには(底には?)、誰かが不幸な目に遭うのを見ることで暗い喜びを得たい、という気持ちが確かにあるのは否めない。ぼくはそういう人だから仕方ないんだ(開き直った)。直すつもりもない。正義の味方は正義が守られたことだけでなく悪が罰されたことにも喜びを感じていたりしないのだろうか。もっとも今回の場合、ぼくが「この感情」を持つ割合は、一家よりもその裏にいる人たちに対してのほうがずっと大きいと思う。