すべての夢のたび。

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人はなぜ笑うのか?

ラマチャンドランの「脳のなかの幽霊、ふたたび 見えてきた心のしくみ」をいま読んでいます。いや〜面白いですこの本、脳科学関連の中ではかなり。もっと早く手を出しておけばよかった。脳の一部に障害が起きたとき、その人の知覚や行動にどのような変化が現れるかを分析し、そこから、正常な脳の働きはいったいどのようなものかを推測していく。ラマチャンドランはそういった感じの臨床研究をやっています。

で、まだ読んでる最中のその本の中に、「笑い」はどういったメカニズムで起きるのか(の推測)が書いてあって、なるほどなー、と納得したので紹介してみます。まぁ、ふだん、大体こんなとこだろう、と思ってるものがはっきり言葉になった、って感じですが。同所P39-40、強調は引用者によるものです。

すべてのジョークにあてはまる共通点は、予想外の展開によって、あたえられた事実をすべて解釈しなおさなくてはならなくなり、予想の方向が転換されること――つまり、落ちがあるということです。予想外の急展開だけでは、笑いを生じるには不十分です。もしそれだけで足りるなら、「パラダイム・シフト」を生みだす大きな科学上の発見はみな、おおはしゃぎにあうはずで、自分の学説が反証されてしまった人でさえそれを陽気に楽しむはずでしょう(自説を反証されて喜ぶ科学者はいません。これはほんとうです。実際に試してみましたから)。再解釈だけでも不十分です。笑いが生まれるには、新しい解釈が、どうということのない、ささいなものでなくてはいけません。たとえばでっぷり太った紳士が自分の車の方に歩いてきて、バナナの皮ですべってころんだとします。もし頭が割れて血が流れだしたら、あなたは笑わないはずです。急いで救急車を呼ぶでしょう。しかし、彼が顔についたべたべたの汚れをぬぐって、あたりを見まわして立ちあがったら、あなたは笑いだすでしょう。それがささいな出来事で、実害はなかったとわかったからです。


うんうん、という。で、そういった条件が出そろったときに、人には「笑い」が起こるわけですが、その意味については次のように語られています。

笑いは、「あれは間違い警報ですよ」と知らせるための、自然に備わった方法だというのが私の考えです。なぜそれが進化的な観点からみて有用なのでしょうか? 笑いというリズミカルな断続音は、遺伝子を共有する近親者に、「このことに貴重な時間や労力を浪費するな。あれは間違い警報だ」という情報を伝えるために進化した、と私は考えています。笑いは自然に備わったOKサインなのです。


この洞察はどうでしょうか? 意外だ、と感じる人もいるかも知れません。しかし、本のほうで続く記述を見ていくとなかなか説得力があるとぼくは感じました。

痛覚失象徴という、通常であれば痛みを感じる状況で笑ってしまうという症例があるそうです。その患者の脳をCTスキャンで見てみると、痛みの信号自体は認識しているらしいが、情動を司る領域にはそれが伝わっていない。つまり、「痛いのに、恐怖や危険を感じない」という状態が起きてしまっている。これが先ほどの説明にあったような「予想外の展開と、ささいな結果」という状況をもたらし、患者は笑ってしまっているらしい、というのです。

また、「くすぐり」にも同様のことが起きているのではないかとラマチャンドランは言っています。くすぐられて笑う、というのは実は結構高度な脳の認識機能が働いているそうです。というのは、自分で自分の腕をなでてみても、別にくすぐったくないですよね。ところが他人にこれをやられるとものすごくくすぐったかったりする。

これもよく考えてみると、自分でやる場合は「予想の範囲内のできごと」しか起きないわけですが、他人にやられる場合、「どんなふうに触られるかわからない(警戒)→たいしたことなかった(安心)」という、笑い発生メカニズムに似た構造になっていることがわかります。で、くすぐったくなり、笑ってしまうというわけです。

いかがでしょうか? ぼくには腑に落ちる物がありましたが。笑いが「警戒を解け」というサインなのであれば、笑うとリラックスできるとか健康にいいとか言われる理由も、なるほどそうかもねー、と思えてくる感じです。