すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ぼくが電子本を買うとき、ぼくは何を買うのか?

界隈ではにわかに電子書籍の話題が盛り上がりつつあります。ですがそこで交わされているのは「売れるのか?」「既存の出版社はどうなるのか?」「KindleとiPadとどっちが勝つのか?」みたいな話ばかりです。そこでここではちょっと視点を変えた話をしてみようと思います。

ぼくはほぼ毎週のように神保町へ行き、毎回1冊あるいは数冊の本を買って帰ります(たまに買わない時もありますが)。いま現在のこの紙の本、「リアル本」とでもしておきますか、を買うとき、ぼくはなにを買っているのでしょうか?

リアル本を買うとき、ぼくは一連のテキストを印刷した紙を製本したものとともに、それを「読む権利」を買っているのだと思います。そしてこの「読む権利」は、無期限です。ぼくは、紙が古びて読めなくならない限りにおいて、死ぬまでいつでも好きなときにその本を読むことができます。

そしてたとえぼくが死んでも、遺産を受け継いだ誰かはぼくの買ったリアル本を読むことができます。つまりこの「読む権利」は他人に無条件で譲渡することが可能だ、ということです。もちろん死ぬ前に本をブックオフに売るとしても同じことです。

また、ぼくは買ったリアル本を家族や友人に貸すこともできます。容認か黙認かはわかりませんが、それを咎める出版社はないでしょう(JASRACであれば「もう1枚CDを買え!」と言うところでしょうが)。

それでは、この辺の事情は「電子本」ではどうなっているのだろう、ということを考えてみます。

「無期限の読む権利」は電子本において保証されているでしょうか? もし同等の権利を保証するとしたら、販売者側はデータを売ると同時に、それを読むためのハードウェアをも永久に提供し続けなければいけない、ということです。つまり「Kindleは販売を中止し、もう修理も受け付けません」ということは許されないわけです。

が、実際にはそれは非現実的な考え方だと思われます。おそらく、わたしたちが読み飛ばしがちな「同意します」ボタンの上にみっちり書かれたあの細かい一連の文字の中に、何らかの制限について記載されることになるのでしょう(それはKindleにおいては既に始まっていることなのでまぁ調べればある程度判るはずなのですが……)。

ただ、「ハードの提供終了後は、もう読めません」だとちょっと酷い気がするので、そういった場合はプレーンなテキストが代替として提供されれば、まぁ許せるでしょうね。でもこれは期待し過ぎかもしれません。プレーンテキストになった時点でほぼ確実に違法配布されてしまいますから。実際は「読む権利はあるけど読む手段はない(未来のいつかにまたハードが提供されたら読めるかも?)」とか「読む権利はハード提供終了とともに終了」とか、そのあたりになっていたりするのではないでしょうか?

そしてリアル本では可能だった、他者への無条件の譲渡や貸与。これはどうでしょうか。貸与については「電子本の入ったKindleやiPadごと貸す」ことを防ぐことはできないでしょう、グレーではあるかもしれませんが。しかしデータそのものの貸与や譲渡については、まぁできないでしょうね。PCのソフトでは譲渡が認められている場合もありますが、iTunesで買った曲を「もう聴かないから」と言って他人に売ったりあげたりすることはできませんし。

他にも、リアル本は裁断してスキャンしてPDF/テキストデータにすることもできます。それが済んでるのが電子本じゃん!と思われるかもしれませんが、そこには加工やコピーが自由かそうでないかという差があります。裁断&スキャンは出版社視点ではグレーな行為な気もしますが、一旦テキストデータに落としてしまえば、有益性はともかくとして、たとえばまるごとオンライン翻訳に掛けてみるとか、データマイニングして著者特有の言い回しを抽出してみるとか、VOCALOIDに朗読させるとか、そういうことも可能なわけです。そういったことも電子本のままではできないと思われます。まさか日記に引用するのにiPadの画面見ながら手打ち……なんてことにならなければいいのですが。

他にも考えればいろいろ出てくるのではないかと思いますが、おそらく、総じて電子本はリアル本よりいろいろと制限されたものになるはずだ、というのがぼくの予想です。要するに何が言いたいのかというと、制限があるんだから知らん顔してリアル本と同じ価格で出してくれるなよ、ということです(笑)。ひとつご考慮をお願いしますねと。こんなメリットもあんだよ!みたいに言ってくれて買う側も納得する、というのならいいですが。まぁとにかく「何を買うのか」についてはちょっと意識的になっていたほうがいいかなぁと思います。

あとリアル本だと重石になったり枕になったり、メモ書いたり燃やしたりもできるんですけど、さすがにその分はまけろとは言えない。