すべての夢のたび。

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ホメオパシーに科学的根拠はありません(キリッ

そんなことを言ってなにかを言ったような気になっている、面白い「科学の人」がいたので、ちょっと書いてみようかなと思いました。

科学というものも実のところは、世界を説明することができるいくつか並立して存在する信念体系群のうちのひとつに過ぎません。しかし、そういう考え方をすることがどうしてもできない人たちがいるのですね。たしかに、そういう考え方ができるようになるためには、ちょっとしたコツが要ります。そしてそのコツは言葉では伝えることができない。ただ、なにかのきっかけで「あ、そうか」と分かるほかない。

たとえて言えばあの「回転する女性の人影」の錯視のようなものです。どうしても、どうしても時計回り(あるいは反時計回り)にしか見えず、これが反対に回って見えるだなんてウソとしか思えない。でも、ずっと見つめているうちに、ちょっと目を逸らした一瞬にパッと逆回りになったりして、あれ?ってなることが起きる。まぁまたすぐ元の回り方に戻ってしまったりするんですが、逆回りに見えた、という記憶は確かに残ります。

「進化論に宗教的根拠はありません」と言われたら、イヤなに言ってんの?って苦笑したくなりませんか? それと同じことが「ホメオパシーに科学的根拠はありません」というセリフを聞いたぼくにも起きるわけです。いやぁ、そうかも知れないけど、それがどうかしたの?っていう。並立する信念体系が別にあり、そちら側では根拠を持って説明できるのだから、なんの問題もないわけですね。

このことが想像できない人は、宗教にたとえると、原理主義的一神教の信者のようなものですね。そういう在り方があまりにもあたりまえなので、ほかのすべてが誤りに見えてしまうのです。

同じようなセリフがもうひとつありました。「専門家への敬意がない」というものです。ホメオパシーの理論(笑)には科学の専門家への敬意がない。あまりにも馬鹿にしている。と言ったようなものです。これも……「進化論はうちの司祭を馬鹿にしてんのか」って言われても、どうしたら……みたいな感じじゃないでしょうか? 真面目に一生懸命やっている人を馬鹿にすることはよくないことです。確かにそうです。でも、そういうことでないとしたら、もうただの言い掛かりじゃないですかね。

ただ、科学は、並立する信念体系群のうちでは、圧倒的に成功をおさめているものです。説明力・応用力ともに、他の信念体系より段違いに高い。そのために、これが唯一絶対のものであり、すべての基礎をなすものなのだ、と信じてしまうのも無理からぬことかも知れません。でも、それでも残念ながらそうではないんですね。世界は科学の法則に従って動くわけではない。順番が逆で、法則が後なわけです。世界はどういうわけかただ動き、それをかなり近似的に説明できるのが、科学の法則である、ということです。またこれ、コツがいる考え方なので無理な人には無理かも知れないんですけど。