すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

まだWA2やってる

WHITE ALBUM2。先週末でやっとサブヒロイン3人終えていよいよメインヒロイン2人とか書いてて、それから1週間経ってまだその1人目を終えていないという状況。

いや、そろそろ終わり見えたけど週末のうちにはダメだった。どうやらこのゲームはメインヒロインにはノーマルエンドとトゥルーエンドの2つが用意されてて、一周目は強制ノーマルっぽいんですよね。二周目になっていろいろ物語の深い部分が語られる、伏線が回収されるみたいな構造になってる。

おまけに、プレイ前にtwitterで「メイン2人のどっちルートを後でやるべき?」って聞いて、「雪菜を後」と回答を貰って、その通りにかずさを先に進めてたのに途中で中断したから。だってじぶんどう考えてもこの2人ならかずさのほうが好きじゃんねw かずさ可愛すぎるので美味しいのは後でいただくことにした。雪菜はなんか怖いわ。こんなになんもかんも耐えて飲み込んで赦してしまう強い女の人怖い。春希が「雪菜は自分と釣り合わん」と言うのもよくわかる。長いシナリオの浮気ゲーという物語の構造上、浮気されるほうのヒロインがすぐ諦めて投げちゃったら話が終わっちゃう、というのは解るんだけど。

このゲーム、登場人物みんながみんな、俺が悪いわたしが悪いと言い過ぎのきらいがある。それって逃げだよね、と思ってしまう。「全部自分が悪い。それでも、あなたは自分を赦してくれるのか?」と、そういうことを暗に言ってる。赦す以上この先なにが起きても赦したあなたの責任なのだ、と言ってるわけです。ずるいんだみんな。だからと言って代りにどうすればいいのかなんて、ぼくにもわからないんですけど。自分も悪いけど自分だけじゃないって言うとか? それもみっともないもんなぁ。

物語に感動するってなんなんだろう、とも思った。ゲームを楽しんでる現実世界のぼくも、いつか決着を付けなくちゃいけない離婚案件を抱えてるわけですよ。それほっぽり出してゲームのストーリーを楽しんでる。ぼくの現実は決して「いい話」なんかじゃないのに。すごいことになっちゃってるなぁなんて楽しめたりしないのに。「当事者性の欠如」と「感動」はなんか関係してるんだろうなって思った。帰る場所/安全地帯があることの余裕が感動に結びつくんでしょうか。そのへんよくわからない。