すべての夢のたび。

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嫌いと差別の狭間

痛いニュース(ノ∀`) : 「差別だ!」 祖父が在日韓国人であることを理由に婚約破棄された女性、男性市議に550万円の賠償請求 - ライブドアブログ


ぼくは度々この日記で韓国ヘイト超ヘイトなエントリを書いておりまして、レイシストと呼ばれることも厭わないし実際そうだと思っているのですが、さて、では、差別ってなんだっけと考えるとちょっとよくわからなくなってくるのです。

"差別"を辞書(大辞林)で引いてみる。

[1] ある基準に基づいて、差をつけて区別すること。扱いに違いをつけること。また、その違い。

[2] 偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱い。


「そりゃサベツだー」と言われるのは[2]の意味でのことが多いような気がします。謂れ無き偏見みたいな。しかしぼくが韓国嫌いな理由は、韓国の人の日本および日本人に対する扱い・態度・そういったものが、不当なんじゃなかろうか、と感じるからです。これ、ぜんぜん、「謂れ無き」じゃないんですよね。ニュースとか検索すればいくらでも出てくる、単なる事実です。

昔、日本が韓国に酷いことをしたとか、それは関係ないんです。そういうことが実際にあろうがなかろうが関係ない。実際にあったとして、だからやり返しても許されるという理屈にはならないし、そもそもぼくがやったわけでもないですしね(しかし、韓国では、祖先がやったことそのは子孫が責任を取るべきである、という考えが一般的らしいです)。

で、そういう、接触することによってこちらに不快な感情を引き起こす可能性が高いカテゴリの人々を、あらかじめ避ける。それって、差別なんですかね? ぼくはごくふつうのことなんじゃないかと思うんですが。

もちろん韓国の人全員がそうであるわけではない。そんなのあたりまえです。でも「可能性が高い」ってのは充分に、避ける理由になるんです。だって別に付き合うの強制されてるわけでもなんでもないんですから。そうやって不必要(もちろんぼくはそう思ってない)に避けるのは損するかもしれないとか、そんなのは大きなお世話ってやつで。もっと安全安心で素敵な人たちと付き合うだけだって一生費やしても全然足りないわけなんで。


にしても、「韓国人」と書くだけでなんか差別的なニュアンスを感じるんですよね。それって考えてみりゃすごい。なので本文中では思わず「韓国の人」って書いてしまうわけですよ。