すべての夢のたび。

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コピーはぼくか?

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この分野には関心があるので、この手のタイトルの記事は一応読んでみてそしてまぁこんなものかなーと思うことがほとんどです。が、今回のは面白かった。割と。いや、エミュレーションはできるの?なんてのは古い話題なんですけど、その周囲の、誰が何を言ってるのか、ってのが意外に充実してました。

 技術的特異点に関する著述で知られる発明家のレイ・カーツワイルは、脳のアップロードは23世紀までに可能になると宣言した。この分野において、現在最も有名な取り組みは、ロシアの大富豪が資金を提供する2045イニシアティブと呼ばれるもので、「個人の人格を高度な非生物キャリアに転送し、不死も視野にいれた延命を図る」ことを目的としている。


シンギュラリティ教の教祖、レイ・カーツワイル。あれ? 2045年に技術的特異点が来るって言ってるのに、脳のアップロードはまだずいぶんその先なんだ。ふ〜ん?

 この問題については深入りしない者もいる。彼らにとっては、コピーがあなただと感じていれば、それで充分なのだ。哲学者のデイヴィッド・チャーマーズは、私たちが毎晩、眠る前に意識を失うことを指摘する。そして、目覚めたとき、それについては特に何も思わない。「目覚めは正しく新しい人格の始まりにも少し似た、新しい幕開けです。それでいいのでしょう…ならば、再構成的なアップロードもそれで構わないということになります。」


チャーマーズはラディカルな感じですね。そうそう、実は夜寝るのと死ぬのとは大差ない、って考えはあるんですよね。意識がなくなって、死んだ場合はたいてい意識はなくなったままで、眠った場合はたいていはしばらく後に意識が回復するってだけで。死んだと思ったけどそうでない人もまれにはいるし、まれには眠ったきり目が覚めない人もいる。単に多い少ないの話なんだけど、なぜ寝るのは怖くないのか?

 ウィスコンシン大学の神経学者ジュリオ・トノーニは意識を「夢を見ない眠りに落ちるとき薄れ行くもの」とシンプルに定義している。近年、彼やクリストフ・コッホなどの科学者たちは、脳の様々な部分の間にある極度の複雑性と繋がりから意識が浮かび上がる時点について、理解を進展させた。「意識を有すためには、大きなレパートリーを持つ高度に分化した状態が備わる単一の、統合された実存が必要」とコッホは記す。極めて抽象的で、自己を他の容器に移し替えるその意味についてはほとんど何も教えてくれない。


コッホの本最近読んだ気がする。要はある程度の複雑さがある脳でないと自己意識は発生しない、って言ってるんだと思うんですが、まぁ確かに記事の言うとおり、脳のエミュレーションとは別問題ですね。


「脳のアップロード!」とか気楽に話しててそれが実現すれば全部解決するみたいな感じの人は、難問である「コピーは自分なのか?」ってのについてどう考えているんだろう、と思っているんですが、そもそもこの問題に対しては2通りの人がいるようです。いや、このことをまるで問題と考えない人と、他に比べるもののないような大問題と考える人、ですかね。

脳のアップロードができたとして、それはぼくなのか。電脳空間に住まうことになったとしてそれはぼくなのか。クローンはぼくなのか。問題に感じない人たちは嬉々として技術的なことだけを話題にし続ける。問題に感じる人たちはいつまでも問題の周囲をぐるぐるまわり続ける。そしてこの2タイプは互いに行き来できないというか、前者は後者が何について語っているのかそもそもわからないし、後者は前者をどうしてこんな簡単なことに気づかないの?と思ってる。

問題そのものももちろん面白いんですが、どう説明したら互いに相手の立場を理解できるようになるだろうか?って考えるのも面白いです。ぼくは心情としては後者なんですけど、チャーマーズの「本人が自分は自分だと思ってるんなら別にそれでいいだろ」ってのも好きなんですよね。