すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

狭い窓から世界を見よ

ケータイWatch : 本当にオトク? ソフトバンクの「全機種0円」

 最新の携帯電話が「0円」と言われれば、多くの人は心がゆれるだろう。今週に入って立て続けに発表された「通話0円」「メール0円」というキャッチコピーのインパクトは非常に大きく、26日に新料金プランがスタートするとソフトバンクショップや量販店には多くのユーザーが訪れたようだ。

 大手量販店の担当者によれば、大阪の店舗では朝から客が並び、50人待ちの状況になったという。東京および大阪の店舗は、15時から16時の時点で本日中の受け渡しをストップする事態になっており、若い客層を中心に売り場が活気づいているとのこと。また担当者は、ソフトバンクの状況について少し上気した様子で、「基本的に新規顧客で大爆発ですよ。ドコモやauもMNP以降はそれまでの倍以上の動きがありましたが、今日だけを見ればソフトバンクの圧勝です。我々もここまで来るとは思ってなかったです」と話していた。


あっはっは。売れてるらしいですねーソフトバンク携帯。いつまでも不誠実な商売をしていればいい。でもって、情報格差社会の下流にいるリテラシーの低いケータイ族は、予想外な請求書でも見てちったぁ学びなさいってこった。

自分はいちどYahoo!BBで痛い目見てますので。申し込んで2ヶ月開通しなかったのでキャンセルして他社のADSLに申し込んだら、Yahoo!の回線工事予定が入ってしまっていて工事できなかった(いわゆる海鮮握り)。もちろん電話しても全然ダメ対応なままさらに1ヶ月経過、内容証明を送りつけてやっと工事予定の取り消しをさせたという。それで金輪際Yahoo!/ソフトバンクの有料サービスは利用するまいと決めました。

釣られクマ

好奇心と怠惰の間 : セルクマと宣伝ブクマ:自分の意見だけを特別扱いしたくないし、宣伝ブクマはなんでいけないのか


はてなにお願いして「自分自身のセルクマをXX usersのカウントに含める/含めないオプション」を付けてもらおう! もちろんデフォルトは「含めない」。あ、「他人のセルクマを以下同様」もあったほうがいいかもですね。

そういうみちアキ氏も最近100文字以下のエントリが多いのではないか。うん。でもブクマ始めちゃったらブログに書くこと減っちゃうっしょ、というわけで。


追記:つーかモテてるな。yuki_19762も「えっちなこと」に入ります。

「なら、お前自身は社会に必要だとでも言うのか?」

「世界史は受験に必要ない」って言われたらこういうカエシはどうか。「勉強することはなんの役にたつの?」「じゃあキミはなんかの役にたっているの?」でも可かも。


YOMIURI ONLINE : 必修逃れ新たに33校、35都道県282校に


拡がってるみたいですね。最初は笑い話かと思ってたんだけど、なーんだ、故意犯だったんですね。

 また、全国高等学校PTA連合会は同日、「入試直前に新たな科目履修を強要するのは、学校や大人に対する不信を増大させるだけ。本年度は従前通りに卒業できるようにしてほしい」と、伊吹文科相に配慮を求める要望書を提出した。


これはないよなぁ。まったくPTAは。未履修で卒業させちゃうほうが「不信を増大させる人」の数は多いんだってば。と言って、学校側の非に比べたら生徒のそれは小さいとも思うし。ここは「仮卒業(世界史未履修)」とかにして、高校卒業後一定期間内(まぁ、1-2年?)のうちに不足分の単位を取得させる、くらいが落としどころではないのかなー。もし期間が過ぎた時点で必要な単位がまだ足りなかったら卒業資格取り消し(でもって大学も追い出され)みたいな感じで。

それとも、「受験に必要ならやる」ってんなら、世界史未履修の人だけは入社試験では世界史必須にしましょうか?

ほとんどの人間は「自分は死なない」と思っている

このことを確認するのは非常に簡単。「もし、『自分はいつ死ぬのか』が判ったら、生き方が変わると思いますか?」と質問をしてみればよい。余命が判ったら生き方を変える、好きなことをやる、と答える人は、つまりいまは好きなことをやってないのであり、いつかは好きなことをやれる日が来るんだとぼんやり夢見ているのであり、自分が明日にも交通事故で死ぬかもしれない、ということをすっかり忘れ去っている人なのである。

なんてことを、fromdusktildawnさんが奇妙なエントリを上げていたので、ちょっと考えてみました。

中島義道氏の著書は数冊読んだことがありますが、氏の「死に対する恐怖感」はほとんど異常なほどだと思いました。中島氏は「死んだら無になる。だから恐い」と言い、みちアキの人は「死んだら無になる。だから恐くない」と言います。なんで「無」が恐いのか、どーしてもどーしても理解できません。だって恐いと感じる自分すらいないじゃないですか。つまり夜に寝るのとなんも変わんないですよ。二度と目が覚めないだけで(だいたい寝るときに「二度と目が覚めないかも」って思いながら寝る人がいますか??) それに、「寝」に入った瞬間は知覚できません。あたりまえですね、そのときはもう寝ちゃってるんだから。「死」も同じで、世界を常に一瞬後にしか経験できない人間には、死んだ瞬間なんてものはわからない。「自分の死」を経験することは絶対にできないんです。そんなのものがなんで恐いのかなぞだー。

あと、まぁ、「人は必ず死ぬ」は本当ではないとしても、今の時代、自分が死ぬ前に不死テクノロジーが完成するか?ってーと、無理?って感じはしますよね。「自分が死ぬ」のは多分これからほぼ確実に起きるできごと。それが恐いならなぜ死を回避する努力をしないのか?は、うーん、回避する努力でより一層「死」について考えてしまうから、でしょうか。「死ぬまでの時間」を「死について考えることを回避するために使う」のがきっと彼らの人生なんですよ(ひどーい)。