- 自分に置き換えて考えてみる
- もし自分がその立場だったら
- 仮に自分がそうなった時のことを思えば
この手の言い回しを使って何かを迫るタイプの主張には与しないぜー、ということを考えていました。たとえば「もし自分が冤罪で死刑判決を受けたら」とか「生活保護を受給せざるを得ないことになったら」とか、そういうのね。
そんな可能性はまったく排除する。リスクは、完全に無視する。そうやって生きていくというスタイルもアリだと思うんですよ。
冷たい、と思う人は誤解してます。ぼくは「冤罪で死刑判決を受けた人」に同情しない、と言っているわけではないですよ。自分がそうなる可能性を考慮しない、と言っているだけです。この2つは完全に別のことです。
いま東京に住んでる人は、もし東京に大地震が来たら自分は死ぬかも知れない、そのことを知らないわけではないです。でも、「もし大地震が来た時のことをちゃんと考えたら、東京になんか住めないはずだ」って言われたら、どうしますか? そうではない、ですよね。たぶん、そんなことはわかってるんだけど、いろいろ考えて無視することに決めたんです。そういう処方もあるんです。
自分がそうなる可能性を考えなくっても、現にそうなってる人のことを思うことはできます。つーかさ、むしろ「いちいち自分に置き換えて考えてみないと行動に移せない」っつーほうがヤバくないですか? それって、結局、「情けは人の為ならず」(の本来の意味)じゃないですか? その人を思ってのことではなく、実は自分のためにやってるだけなんじゃないの?
とか言っといてラストにひっくり返すのもなんなんですけど、そもそも最初から同情心が起きないケースも多いんですけどね、ぼくの場合はw