すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

思考は本人の意思とは関係なく次から次へとオートで湧いてくる

カオスちゃんねる : 瞑想やれよ人生変わるぞ


あとで読もうと思ったらものすごい数のブクマが付いてた。みんなそんなに瞑想に興味しんしんか。人生変えたいのか。

さてぼくも興味があるので読んでみたわけですけど、昔どこかで読んだやつとやりかたはだいたい同じだった。ただ昔は意味がわからないというか、こんなことして何になるのかと思っていたんだけど、今ならまぁあまりゴチャゴチャ言わずにやれないこともない気がする。


で、目的は、何も考えないこと。そのやり方は、呼吸に意識を集中すること。何か思考が湧いてきてしまったら、ああ自分は今こんなことを考えているんだなと、その自分をただ観察すること。そうすることで、そのうちに「無我」に至れる、と。

まあこの辺は変な話になるんだが、

「思考」は本人の意思と関係ないんだよ

そんなハズあるか!ってのが第一印象だろうが実際そうなんだ
思考は本人の意思とは関係なく次から次へとオートで湧いてくる

これがいわゆる「自我」ってやつだ

普段人はこの自我に振り回されてる
いわば自分の意思と関係なく湧いてくる思考に囚われてるんだ
ストレスが生まれ、人生が思い通りにいかないのは
すべてこの「自我」のせいなんだ


このあたり、同意できる部分と、できない部分がある。ここでは自我を悪者扱いしているけれど、そうではないはず。そもそも、だいたい、人と動物の違いが、自我があるかないかだから。自我がなくていいんなら、動物でいい。犬は、駆け回ってるだけで、それで幸せそうだし。そして赤ん坊も似たようなものだ。

人生に味わいをもたらしてくれるのが自我であるはず。最初から最後までいいことしか起こらない映画を誰が観たいだろうか? いろいろあって、ラストに報われる。それがお約束である。みんながみんなお坊さんになって瞑想して無我に至るべきというのでは、人生を生きる人がいなくなってしまう。たまに瞑想をして、そして世間に戻ってくるのがいいのだ。お坊さんというのは目指すものではなく、やむにやまれず成るものだと思う、おそらくは。

やり方の続きだけど

じゃあそんなおしゃべりな思考をどうするか

答えは「観察する

思考が勝手に湧いてきては流れていく様を
一歩引いて観る

そうすることによって思考にとらわれない真の静寂が得られるんだ

この「思考を観察してる自分」に気づく

ってのは本当に大切なことで
それがあらゆる宗教の目標なんだけど

瞑想ってのは誰にでもできるそこに至るツールなんだ


ここが一番興味深いところで、正体はまだわからないけど、非常に重要ななんかが隠れているように思う。観察という行為。まず自我というものが、そういうものだ。ある時、脳の中に自己参照のループが生まれ、"自分"をメタレベルで観察できるようになったもの。それが意識であり自我であろうと思う。(そして観察を観測と言い換えれば不確定性原理にも繋がる)

ここではその自我をさらに観察しろと言っている。つまり、さらにもう一段メタレベルに昇れと言っているのだ。それによって思考が消えるという。なぜ消えるのか?

よくこの手の話だと「『○○○について考えている自分』について考えている自分」、という無限後退が起こる、みたいな話が出がちだけど、実際はそんなことは起こらない、カッコが3つも重なると、もうそれ以上を考えるのは難しくなる。多分、ハシゴを昇っているのではなくて、エッシャーの階段のように、昇っているようでいて同じ所をループしているだけだからだろう。

なぜ思考を観察すると思考が消えるのか。おそらく、脳はシングルタスクなので、観察と思考を同時にできないせいではないか。何かについて考えてしまっている自分を観察すると、「何かについて考えてしまっている自分」を観察する、というように、オブジェクトレベルの自分はカッコの中に入ってしまい、動かぬただの標本になってしまうのだろう。

寝付きをよくするライフハックというものがある。

あと、簡単だけど驚くほど効果的だったのが、寝付く方法。
脳内で「あーーーーーーー」と一定の音を再生し続ける、それだけ。
人間の脳みそが、一度に一つのことしか意識できないのを利用したもので、 「あーーー」と再生することで、眠れなくなる脳内会話をさせないのだそうだ。
自分はこれで、一時期常用していた眠剤が不用になった。


瞑想で思考を観察する代わりに「あーーーーーーー」でもいいのではないだろうか。寝てしまいそうな気もするけど、どうせ瞑想してても寝てしまうのではないか。