憲法って、ただの紙の上に書かれた文章ですよね。。。実際に餓死しそうな人がいるときに、「憲法」がアンパンを恵んでくれたりするのですか? 誰か、生身の人間が、お金を出してアンパン買うところから始まりますよね? https://t.co/Vsi1HPJQcR
— 田端 信太郎 (@tabbata) 2017年5月14日
この方がLINE社の偉い人ってことはなんとなく知ってます。別に追ってはいないので、たまーにツイートがRTされてくるだけですが。
で、このツイートが炎上したらしいです。挙句には自分の会社から注意されたとのこと。
ぼくはこのツイートの前後を見てないので文脈は知りませんが、このツイートだけ見ると、まったくその通りだなと思います。憲法はただの文章だし、憲法がアンパンを恵んでくれたりはしない。アンパンを恵んでくれるのは人間です。そうとしか書かれていません。過激でもなんでもない。
なのに、書いてある以上のことが多くの人に勝手に読み取られて炎上し、LINE社などは「法律を軽視するような発言を行ったことは大変軽率な行為」として厳重注意を行ったそうです。バカなのかな? このツイートのどこに法律を軽視するような内容があるんですかね。
田端氏の言いたいのはこういうことじゃないかと思うんです。たとえば人権というものがありますが、チベットで虐殺された人やシリアで爆撃されて死んだ人にだって人権はあったはずです。人権があったら簡単には殺されないかというと、そうではない。なにかが、人権に実質を与えている。そうするとそれが有効に機能するのです。そういうことが起こらない場合、人権は紙の上の憲法とおなじ、ただのフィクションと化すわけです。同様に、憲法にも実質を与えているものがあるのです。
それに、人権なんてものが人類によって「発見」される以前だって、人は互いに相手を尊重することはできたんですよ。憲法なんかなくったって人にアンパンをあげることは可能ですし。
ついでに言うとこれは物理法則であっても同じです。物理法則というのはただの紙の上に書かれた数式です。物理法則があるから、世界の中のものがそれに「従って」動くわけではありません。世界が先で、法則は後です。法則は後から「見出された」ものです。あなたは「なにかの物理法則を表した式」と「それっぽく書き連ねた適当な式」を見分けることができますか? なぜ、世界は、後者の式では動かないんでしょうか。紙の上に書いた数式から世界が立ち上がらないのはなぜでしょうか。法則に実質を与えているものがあるんでしょうか?