すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

またまた、自殺について。

http://d.hatena.ne.jp/./madness/20050424
2度目の言及なので、なるべく簡単にします。

死にたいということを宣言している人、これが先の文章で私の止めようとしているケースでした。

思います、止めてどうするのかと。止めて、それから、どうするのか? 止めただけでは、自殺志願者本人が死を決意するに至った原因は、そのまま残ってるわけです。わたしはこれを「当人の意志に反した延命措置」なのではと考えます。止められても、苦しいまま。止めた人は、その後もその人に関わり合っていく覚悟はあるのか? 知り合いならまだしも“善意の第三者”みたいのは、「止められて良かった」で満足しがちなんじゃないかな〜って気がします。

それはともかく。止める方法をひとつ考えました。死のうとしてる人はいろいろ考えた挙げ句死を選択したと思うので、まだ考えてない(と思われる)問題をぶつけてみて、とりあえずHALTに持ち込む、というのはどうでしょうか。トンボの目の前で指を回すのと同じ要領です(今の子はそんなのするのかな?) そのスキにうしろから、プロバイダから契約者情報を聞き出した警察が「よっ」と捕まえると(これ、わたし的には人権擁護法よりよっぽど気味悪いんですが)。

「やさしくしようね」ってのは、繰り返し型の囚人のジレンマでは最初に「裏切り」じゃなくて「協調」を選ぼうよ、ってことです。

あと──わたしはあまり興味ないんですが──ほんとうは残された人(自殺・犯罪の犠牲とも)のケアが、抑止防止とおなじくらい大事なんじゃないかと思ってます。結局、どうやっても全部は防げないわけですし。


最後に、死が怖くないわけ。むかしはわたしも死ぬのが怖かったことは覚えてるんですが、なにかのはずみで「怖くない」側へ飛び移ってしまい、いまでは怖がっていた理由も思い出せません。もし死後の世界があるなら、本当の意味での“死”はないわけだし(そして、死後の世界がどんなふうなのかは死ぬまで知りようがないので、今考えるのは無駄)、もし死後の世界がないなら、死は単に消滅です。眠って、そのまま眼が覚めない、それが死かと。そのまま眼が覚めないかも知れないのに、世間のみなさんは何故眠るのが怖くないのか、それがわたしには不思議です。