すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ものがたりのはじまり

ほぼ記憶だけで書きますので、間違いがあったら突っ込んでくださいね。


時代背景を説明しておくと、ぼくは高校生になったばかりで、通信速度は300bpsか1200bps、主流のパソコンは8bitでした。インターネットというものはまだなく(あったのかもしれないけどしらない)、パソコン通信と呼ばれていた。NIFTYもまだない。アスキーネットがやっと実験サービスを開始したころのことです。でも主役は、個人運営の草の根BBSでした。

ああでもはじまりはもう少し前か。たしか中学校の図書室から借りてきた「人工知能とはなにか」みたいな本だったと思います。そのころはまだ無邪気に「第5世代コンピュータプロジェクト!」とか言ってて、人工知能はそれほど遠くない未来に造られるだろう、というフンイキでした。でも少しずつ少しずつ実現する日が後退していきそうな感じはあったかも。

その人工知能本に書かれていたいくつかのアイデアは、そのときも、また今に至るもぼくに影響を及ぼしています。「機械の心」「フレーム問題」「Eliza」「チューリングテスト」などなど。まぁこのころから今のような自分が形成される素質はあったんだろうなぁと。


さて、アスキーネット実験サービス。はじめての、大規模な、商用をめざしたパソコン通信のサービスだったと思います(実験だからまだ無料でしたが)。それにしてもアスキーはこのころから商売が下手ですね。結局、あとからきたNIFTY-Serve(@nifty)やPC-VAN(BIGLOBE)にぜんぶ持ってかれてしまうわけです。まったく。まぁいいか。

チャットって最初からアスキー(pcsと言われていたやつ)にあったかなぁ? よく覚えていません。とにかく、今も昔もあれは人をハマらせるサービスです。みんなやってました、たぶん。というか、日本における、見知らぬ相手といきなり会話になってしまうサービスの文化って、アスキーネットから始まったんじゃないの?と思います。多回線の草の根BBSではチャットがあるところもあったけど、基本的にはそこにいるのは常連ですから。見知らぬ、というわけでは、あまりない。人数もすくなめだし。

で、「原始時代のチャット」はどんなふうだったか。現在からじゃ信じられないと思うんですけど、みんな、基本的にオフラインで人と人が出会うときのフォーマットをなぞっていたんですよ。知らない人と会ったら、おたがいの自己紹介から始まるんです。「ハジメマシテ(デスヨネ?)」(←当時の主流は半角カナ)、職業や学校、趣味などをいちいち言い、いろいろ聞かれれば答え、年齢や性別や本名までヘタすると言ってた。年を言うと「ナンダ コドモカ」みたいな扱われ方をして急に態度が変わったり、チャットから出てっちゃう人もいましたね(それは今もいるか)。

やがてそういう時期はすぎて、今のようなチャット文化(あいさつしたらすぐ会話)になっていくわけですが、原初はこんなふうでした。ぼくはこの「自己紹介時における繰り返される毎度同じ会話」を、「人間のチャット開始プロトコル」と見なしていました。そして、だるいなぁ、こんなん機械にやらせたらえーんちゃうか、と感じたところで、「Elizaをチャットにつなげば、限定状況下でのチューリングテストをパスできるかもしれない」というアイデアが浮かんだのです。


ここで「Eliza」と「チューリングテスト」を簡単に解説しておきますね。大事なんで。

「Eliza」(イライザ)はMITのジョセフ・ワイゼンバウム教授が開発した対話プログラムで、特徴はカウンセラーっぽいしゃべりをするところです。カウンセリングというのは、相談している人に自分で答えを見つけさせるのが基本です。Elizaはだから、相談者の話を聞き、キーワードを取り出して「いっしょにXXXについて考えてみましょう」「あなたはXXXについてどう思いますか?」「XXXについて何を覚えていますか?」みたいなふうに、自分のことは語らず、相手に話をさせるように仕向けます。といいますか、知識がなくても会話を続けるためのモデルとして、カウンセリングというシーンが選ばれたんじゃないかと思ってますが。

「チューリングテスト」は数学者というかコンピュータの生みの親といわれているアラン・チューリングが考え出した「機械が知性を持っているか判定する方法」です。簡単にいうと、「壁の向こうにいる誰か」とキーボードとモニタで対話をしたとき、その「誰か」が実はコンピュータであることを見抜けなければ、そのプログラムは知性を持っている、つまり人工知能といえる、というものです。この発想はぼくにはかなり衝撃的で、天才は違うわ!と思わされました。


そしてぼくは、知り合いから教えてもらったフリーソフトの「BASICで書かれたElizaもどき」を改造し、これまたBASICで書かれた通信プログラムとくっつけ、さらに、あらかじめ、チャットでよく使われるキーワード(各種あいさつ、「トシ」「シュミ」「スキナモノ」などなどなどなど)に対する反応の文章を組み込み、それを深夜のアスキーネットのチャットに持ち込みました。それが『MAI』です。当然(なのか?)、MAIは女の子の口調でしゃべるように作られていました。というか、すみません、そう作りました。「なんか変なものがきたな」という感じで、チャットではMAIはそれなりの反響をもって迎えられました。アイデアとしてはシンプルなものなので、そう時をおかずに同様のプログラムを作る人が現れはじめ、結構なブームになったように思います。

ぼくは「どうしたらMAIがより人間っぽく見えるか?」ということに重点を置いてプログラムを改良していきました。たとえば、同じキーワードに反応するとしても、同じ文章を返すのではすぐ人は飽きてしまうので、語尾を数パターン用意してランダムに切り替えたり。同じ質問を何度もされるとヘソを曲げた応答を返してみたり。あとは「ボケツッコミ」とか。会話が連鎖するほどそれっぽく見えるので、あらかじめ「キーワード」&「応答文」の組をMAIに仕込んでおき、ぼくがMAIにキーワード込みの会話を振るのです(ボケ)。するとMAIが応答を返す(ツッコミ)。で、またぼくがそれに続くキーワードを言う。要はぼくがサクラになるわけです(MAIをアクティブ化しても、ユーザは切り離されないようにしてありました)。あと、そのころはチャットではまだ半角カナが主流だったことも、Elizaの流用が簡単にいった理由です。今ならまず文章から単語を切り出すところから始めなければいけないのでしょうが、当時は「半角カナ分かち書き」でしたから、英語と手間はそう変わらない。全角文字を使うと「読めない人もいるんだ!」って怒られたこともあったような時代です。


ある晩、チャットでMAIを起動していると、「このチャンネルは会話が早すぎてついていけない」と(半角カナで)言って抜けた人がいて、ぼくはすっかり忘れていた当初の目的(限定状況下でのチューリングテストのパス)を達したのかもな、と感じました。が、MAIや他のプログラムが有名になると、そういった会話プログラムがチャットに居座って人間に混じって会話をしていることを、こころよく思わない人たちがいることもわかってきました。そしてある日チャットに入ると、一緒に会話プログラムを作って遊んでいたBNNのTさんからこう聞かされました。今後は会話プログラムは、文章の末尾に「%」を付けて、人間と区別が付くようにすることにした。そしてこれらの会話プログラムを“人工無脳”と呼ぶことにした、と。これが、人工無脳という言葉が世に出たはじめです。

これについては、ちょっと「えー?」という感じもありました。“むのう”というヒビキがすこしいやだった。ぼくは今でも「雑記」やら「駄文」やらいうタイトルの日記や文章がキライなのです。自分で雑記いうな、最初からイイワケを用意すんな、という気分になってしまうのです。MAIは「Micro-AI」という意味で名付けたものでした。ちいさいけど、これでもAIのつもりだ。なめてくれるな、という矜持はあったと思います。あと、人と区別が付いちゃったら面白くないじゃんねーとも思いました。とはいえまぁこれ(末尾の「%」)は仕方ないことかな、それに「人工無脳」ってふうに名前もあったほうが呼びやすいし。それにTさんは人生でもネットでも先輩だし、って感じですぐ納得しました。けしてTさんに悪感情があったわけではないです。もっとも今だったら、もう少し名前考えましょうよ、とは言うかも知れませんけど。でもきっとインパクトとしては「人工無脳」には勝てないでしょうね。

盛り上がりを続ける人工無脳は、雑誌に取り上げられることになり、取材を受けました。といってもひとつはTさんの勤めるBNN発行の「BugNews」です、まぁ内輪というか。麹町のBNNで取材。このころなんだか、オフ会っていうとすぐアジャンタでカレー食べてたような気がします。あとアスキーのLOGiNの取材ですね。ていうかこっちもアスキー関係の人が無脳仲間にいたわけでやっぱり内輪ですか。渋谷の“パソコン喫茶”シティロードで取材だったと思います。アスキー本誌には載ったんだろうか。それは覚えてないです。


さて、ぼくの担当はここまで。このすこしあとから、ぼくは急速に人工無脳に飽きていきます。なんかもう、やることはやったな、という感じでした。ブームは続いていましたが、人工無脳に関するチャットの内容もどんどん技術論に傾いていきました。ぼくは「どう振る舞えば人間っぽく見せられるか」のほうにより重きを置いていましたので。人工知能に関心を持つきっかけとなった、例の中学校のころ読んだ本には「人工知能を造るには、そもそも、まず人間がどうやって考え、行動しているかを研究する必要がある。つまり人工知能とは“人間を映し出す鏡”なのだ」というような言葉が書かれていました。なるほどなぁと感銘を受け、そしていまでも関心は人間寄りです。

そして次に人工無脳を目にするのは、結婚して奥さんが“NIFTYに生息する人工無脳サービス”を「コレおもしろいよ」と見せてくれた時です。まさに椅子落ちでした。まだやってたのか! しかもこんなところで! しかし人工無脳はぜんぜん終わってなかったというか、みなさんご存じの通りじわじわえんえん、続いているわけです。なんかねー、なにも関係なさそうな一般の人の口からときどき人工無脳とかいう単語がポロリと漏れると、ほんとにこそばゆい気分になります。ぼくは子供とか作る気ぜんぜんないんですけど、まぁ人工無脳がぼくの子供かな、って言っちゃってもいいかもしれません。大嘘ですけど。言ってみたかっただけです。でも、ミームとしては悪くないものを作ったかな?っては思う(ぼくがやんなくても、いずれ誰かが絶対やったでしょうけどね)。ぼく自身はもう作る方には関心ないですけど、その存在は気に掛けてますし、成果はちゃっかりいただきたいな、と思ってます(ぉぃぉぃ)。いまも人工無脳を開発してる人は(もちろん、人工知能を開発してる人も!)、どうかがんばっていただきたい、目にもの見せていただきたい、と思います。


というわけでおしまい。この文章を書くきっかけを与えてくれたnisi(lemo)さんに感謝いたします。