すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ふたりはほんとになかよしなのか?

無断パンツ話は思わぬ好評でした。皆パンツとか好きなんですね。と言いますか、なんかさー、うちのブログでブックマークされる記事ってネタ記事ばっかりですよ結局。いやブックマークされることはすごくありがたいんですけど。でもどうなのかそれ。


で、らぐさんへのレスを書きます。簡単にいきましょう。7/27の記事より。

まぁ日常会話や漫画・小説ならともかく、議論の類で勝手に人の真意を仮定しちゃだめだろ…とは思いますが。

狭く捉えすぎなのではなくて「そのままで捉える」という事に注意しなければならないと思っているのです。

例えの中で、他人が勝手にその定義を変更したり、必要以上に勝手にストーリーを進めたりする事の方が議論にズレを生じさせ、効率を低下させるのではないかと思います。

「リンクすること=女性に年齢をきくこと」と例えていて、コレはそれ以上でもそれ以下でもないんですよ。それを「リンクすること=女性の年齢を知ること」に移行して話を進めようとするのは、正直詭弁ととられても仕方が無い行為だと思います。

例えの中で言われているのは「女性年齢を聞くことについて」だけなのですから。拡大解釈はNGです。


上の引用部分でわかったんですが、らぐさんは記述原理主義者でした。「原理主義者=教典を絶対とし、記述内容をそのままに捉える人たち」なので、「らぐさんは原理主義者」でもいいのですが、宗教のそれと混同しそうなので、記述原理主義者としておきます。

また、みちアキさんが”女の人に「年齢を聞く」意図”について4つの可能性を挙げているのですが、ここでは「意図が何であるか」は問題ではありません。確かに常識で考えれば「その人の年齢が知りたい」という理由が妥当ですが、確実にそうであるかどうかは分からないし分かる必要もないのですよ。なぜなら、例えの中で言われているのは「女性年齢を聞くことについて」だけなのですから。拡大解釈はNGです。


みちアキさん? ……そんな他人行儀な。みっちーでいいですよ? で、わたしは「女性の年齢を知りたくて聞くこと」と解釈すべきだ、と言い、らぐさんは、あくまでも語られているのは「聞くこと」についてだけで、意図は問題じゃない、と言います。

しかし、ネットの中には、この「ただ聞くために聞く」に相当する行為を実行する者が存在するのです。そう、Google様です(他にもblogmapとか話題の.jpとかいろいろありますが)。Google様(とかロボット)は意図なしに、ただリンクを張ってきます。(そして、ロボットの行う無断リンクに関して文句を言う人は、人間の行う無断リンクに文句を言う人より、ずっと少ないです)

「女性に年齢を聞く」の「聞く」に“意図なしor不明”以外の解釈を認めないなら、 maroyakasaさんの文章はGoogle様の無断リンクを例えることに使うほうがよっぽど適切である、とわたしは考えます。だって、人がリンクするときは、人が何かを聞くときは、そこに何らかの意図があるんですから。誰かが、何かの基準を持って誰かのページを選び、そこに向けてリンクを張る。Google様と違って、なんでも無差別にリンクを張っているわけじゃないでしょう?

というわけで、わたしは、「そのまま解釈すると不自然な事がある場合、無理のない範囲で、現実的な方向に解釈を変えるのは、許されるべきだろう」と言っているのです。これが寛大原則です。変えすぎかどうかは、議論に参加している他のメンバーが判定すればよいでしょう。“確かに常識で考えれば「その人の年齢が知りたい」という理由が妥当ですが”と、らぐさんご自身も言っているじゃないですか。例えを出したmaroyakasaさんご本人も放棄した(と言われている)主張についての、現実的には無理のある解釈方法に、なぜらぐさんがそこまでこだわるのか、わたしには不思議です。

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まぁ、今回は、らぐさんが記述原理主義だったと判明したという、大きな収穫がありました。それで、わたしはよくらぐさんに突っ込まれるんですね。わたしは、言葉をイメージ的に使ったり、意味をずらして使ったり、読んでる人に考えて欲しくて言葉を省略したり書いた文を破棄したりします。そこを「そのままに」解釈されてしまう。それでズレが生じるのかなーと。

寛大原則と記述原理主義の対立については、放置します。わたしは「寛大原則のほうがいいよ〜」と主張する充分な根拠を持っていません。つーか説得とか面倒。ただ、記述原理主義での議論に皆が疲れてきたから寛大原則が出てきたんだろうとは思うんですけどね。

もし比喩を再定義したいのであれば、その旨を伝えなければならないと思います。ただし再定義したところで、前の定義をハッキリ否定していないのであれば、その行為(再定義)で議論が進んだ事にはならないと思いますが。


誤解があると困りますが、わたしは無断リンク関連の議論を進めることには、まったく興味がありません。それがどう転んでどういう結果になっても構いません。議論してる人と見てる人の動きやそれに惹かれる自分を、不毛だな〜と感じつつ面白がってる、というのが大半です。昨日のアレは比喩の再定義ではありません。その動き自体を例えたものです。比喩として誰かに使ってもらうのは別に構いませんが。