すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

どうでもいい人

なんの事件だったか忘れたけど、最高裁判事が「被告は死刑、反社会的で更正の余地無し」みたいなこと言ってたのを見て、ぼくは、ぼくも反社会的で更正の余地無しなんだけどなぁ、と思っていた。反社会的といっても、社会に対し積極的な破壊活動をするわけではなく、もっと消極的なものだ。ひとことで言えば、社会への非協力的な姿勢("反"社会的ってか"非"社会的、か)。件の被告との差は、法に反するようなことはしていないという、ただそれだけ。

基本、世の中どうなってもいいや、と思っている。ぼくが死ぬまで(それは5年先か10年か、最長でも20年内のことだろう←そのくらいで自ら死んでやろうと思っているので)保ってくれればいい、と思う。あとのことはしらない(悪くなれとも良くなれとも思わず、ただ関心がない)。このあと誰かと暮らす気もないし子供を作る気もない。ひとりで出かけひとりで遊び、くだらないニュースに笑い、自殺者増加のニュースに胸をときめかす。

そして、しょうがないなぁこの性格は、と思いつつ更正する気もない。周りの人が一生懸命神輿を担いでくれているので、ぼくはぶら下がっているだけだ。もちろん、みんながぼくのようだと神輿は進まないのだけど、どうもそういうふうにはならないらしい。ぼくのような人間は一定数以上は増えないように見える。みんな、本質的に真面目で「みんながぶら下がっていると神輿は進まない」と考えているのだろう。そしてただ自分のためだけ以上の働きをする。だからぼくはその余剰分に安心してぶら下がっていられるのだ。

残念ながら?今の世の中にはぼくのような人間をうまく排除できる仕組みがない。別に法に反しているわけではないし。もちろん、会社でこんなやる気なさ全開ではいられないので、そこは適当に周囲に合わせているけれど、基本的には、ひとり暮らせる分のお金をもらいにいっているだけだ。働かなくてもお金がもらえる仕組みがあるなら自分の時間を切り売りしたくはない。(しかし、会社から給料が出ているということは、社会的に何らかの意味がある仕事をぼくもしていると誰かは考えている、ということなのだろうか?)

そしてぼくは、美味しいコーヒーやお酒を飲んだり、美味しいものを食べつつ本を読むという、それだけのことがほんとうに楽しくて幸福で、自分のことと世界のことが大好きで、生まれてきてよかったなーといつも思う。ありがとう、と言う。で、他の人ってどうなんだろうなー、とちょっとだけ思うんだった。(この人はまぁだいじょうぶそうだな!って人もいっぱいいるけれど)