すべての夢のたび。

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歴史修正主義者と言われたら


2ページある記事なんですけど1ページ目で読むの止めました。なんか上から目線、「こっちが絶対正しい」ってのが鼻について、ですね。

正しい側が一時的に負けることはあるとは思うんです。でもずっと、ずーっと長期間に渡って負けっぱなしだったら、なんでかな?って振り返って考え直してみることも時には必要じゃないんですかね。(一応言い訳しておくとぼくは正しい側についてると考えてはいません。ぼくにとって生きるのが楽なほうについてるだけです)


それはそれとしてですが。シュタインズ・ゲート以来、というと嘘なんですけど、未来は枝分かれしてる、ってのは共通認識としてあると思うんです。まぁもっとずっと前からループもの、いやふつうのADVでも分岐はするか、はありました。でもシュタゲで「世界線」ってことばが出てきたのでそれについての話がしやすくなりましたよね。

ぼくの考えは「過去も枝分かれしてるのではないか?」ってことなんです。いやそれはない、とほとんどの人は言うんじゃないかと思うんですが。

例えてみればパチンコですかね。弾かれた玉が上から落ちてきて、クギとかあちこちにぶつかって、でも最後は一番下の穴に吸い込まれる。辿った経路は違ってもゴールは同じ。そのたったひとつの「ゴール」が現在とすると、過去にもいろんな可能性があったのではないか、という考えもあり得ると思うんです。いろんな過去がこの現在に収束する可能性はある。

でも可能性はあったかもしれないけど、実際の道のりはひとつだろ、あるひとつのパチンコ玉が通った経路はひとつしかないだろ、事実はひとつしかあり得ないだろ、って人は言うかも知れません。

それに対するぼくの応答は「お前はそれを見たのかよ」です。お前は南京を、慰安婦を、見たのかよ?ですかね。お前は「事実を知っている」のではなく「おそらく事実に近いと思われることを支持している」に過ぎないだろう、という。そして、1に限りなく近い0.999……だったとしても切り捨てたらゼロですよ、と思うのです。

いや見てない、見てないけど事実はひとつに決まってるだろ!って信念はあると思います。でもそれって古典物理学的な感覚であって、量子論的ではないですよね。


歴史修正主義、っていうのは、自分たちが正しい側にいる、って視点からのことばだと思うんですよね。正しい歴史ってのがひとつあって、それを曲げようとする者たち、みたいな。実際のところは、誰にも正しい歴史なんてのはわからなくて(だって神さまでもなければ世界の空間時間の全部を見るとかかなわない)、強い側勝った側が「こうであった」として歴史を創っていく、というあたりがほんとなんじゃねえの、と思っています。

片方から見ると「歴史修正主義者!」なのかもしれないですけど、片方から見ると「歴史を創るゲームで負けつつある者たち」なのではないか? なるほどこれが言語ゲーム?