すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

ヨハネ・パウロ二世死去に関して

心よりご冥福をお祈りいたします。


いまごろ書くのは、基本的には「よく知らないものについては書かない」という方針のためです。いや、相変わらずなんか解ったわけでもないので、簡単に書きます。意外だった3点について。

ひとつめ。キリスト教はヨーロッパでは人々の間にちゃんと浸透してるんだなぁと。広場を埋め尽くす人たちや祈りを捧げる人たちの写真を見て、いいなと思いました。フランスにいった時は、たしかに教会は多かったけど、あまりそんなふうには感じなかったんですが。内面にはしっかり存在しているということでしょうか。それも美しいと思う。

ふたつめ。泣いている人の多いことについて。死去が発表されたとき、サンピエトロ広場で拍手が巻き起こった、というのはわかるんです。「おつかれさま」「ありがとう」だろうから。泣くのはなんだろう……? “法王”が神によって天に召されると“キリスト教徒”は悲しいのでしょうか? ヨハネ・パウロ二世その人が亡くなられたのが悲しい、というのなら理解できます。ここはちょっと謎のままですね。(わたしのなかの何かの感覚がマヒしてるだけ、という可能性もありますが)

みっつめ。法王が亡くなられたことについて、イスラエルからもアラブ諸国からも、法王を称え死去を惜しむコメントが発表されたこと。これはとんでもなくすごいことだと思う。敵対し殺し合いまでする宗教どうしの、片方だけではなく両方から称えられるとはいったいどんなことなのか。それは、宗教を超えてひとりの人間として素晴らしかったから、ということに違いない。そんな偉大な人について、わたしはなにも知らなかったわけです。そりゃちょっと恥ずかしいんじゃないかと思ったんですが、あえて無知であったことを晒しておきます。反省してちょっと勉強してきます。


あとひとつ。いただけないなぁ、と感じたこと。中国外務省のナントカ報道官が「バチカンが新しい法王の指導の下で、中国との関係改善に有益な条件を作り出すように希望する」とか言ったようです。はぁ? いま言うことかそれが。失礼な国だなぁと思いました。最近の日本への抗議行動やらなんやらは、まぁ日本もそれなりのことを昔したんだろうし仕方ないのかもですが、これはちょっとね。少しだけ中国が嫌いになりました。もっと世界の「尊敬されるおとな」としてふるまって欲しい。日本はこどもですけど(笑)。