すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

昨日の続きをすこし。

祭りに例えてたけどサッカーに例え直してみます。

自殺する側の言い分。

  • なんでオフサイドなんてルールがあるの?
  • 手も使ったほうが速くない?
  • ていうか、そもそもサッカーって面白いの?
  • 疲れたしもうやめたいんだけど?

いっぽう、自殺を止める側の言い分。

  • なんで楽しくないなんて言うの!?
  • ルールはルールなんだから守れよ!
  • ほかのみんなは頑張ってるよ?
  • お前が抜けるとその分俺が走らなくちゃいけないんだよ!

こんな感じでしょうか。たぶんレベルが噛み合ってないんですよね。「する側」はゲームをメタな視点で見てるのに対し、「止める側」はゲームを当然として、内側からしか語れてないので説得力がないんです。ゲームの外側から、「それでもなおサッカーを続けることの意義」を語れれば、ちゃんと届く言葉になるんじゃないかなぁと思う。

まぁもちろん、「楽しいサッカー」にすることができればいちばんいい(楽しいよ、って言って聞かせるだけじゃなくてね)。それが無理なら、せめてメリットを提示できなくちゃ。健康にいいよとかなんかご褒美があるとかね。

余談ですが、「ルールはルール」タイプがいちばん手に負えない。「ルールは守るべきだ。なぜなら、ルールは守るためにあるからだ。だから、お前もルールを守れ」とか、いませんかこんな感じの言い方になる人。


あと、書き直し・言い直し。

×「人生生きてればいいことも絶対ある」
            ↓
○「この俺がお前に、人生でいいことを絶対見せてやる」

×「あなたの家族や友だちが悲しむから死んじゃダメ」
            ↓
○「このわたしが悲しいから、あなたに死なないで欲しい」

ここまで言えないなら関わるなーと思うんですが。死のうとしてるのはリアルな個人なので、止める人も実体化しないとダメだと思います。