すべての夢のたび。

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エウリアンに気をつけろ

秋葉原を歩いていると、奇妙に爽やかでフレンドリーなお姉さんが、カゴを持ってポストカードを配っていることがある。それを手に取ると、「いま展示会やってますから見てってください〜」などと言われて画廊に案内され、(中略)、100万円の絵を買う契約をさせられる。このお姉さんがエウリアンである。(たまにお兄さんの場合もある)


これ、他の街でときどき見かけてたんだけど、いつからかアキバにも出てきてました。そして最近コレに「エウリアン」(絵売りアン)という名前が付けられていたことを知り、うめーなぁ(笑)と思ったので、ちょっとここでも啓蒙活動を。このレポートがとてもよく書けていました。

対決・エウリアン(上)(下)』


わたしもよく声を掛けられます。まったく、ナメられたもんだと思う。このわたし相手に絵? この、親戚の統一教会の勧誘もいとこのアムウェイも知り合いのニュースキンも浄水器も健康食品も生命保険も断りまくり、街角のセミナー勧誘は5時間も喫茶店に付き合ってあげた挙げ句に断り、家まで来た統一教会員は事務所まで付いてってあげてビデオ見せられてお兄さん達に囲まれても断って帰ってきたわたしに「100万の絵」を売れる気ですかと。(でもオウムだけは折れそうだったけどさ(笑))

というような感じで、一時、「絶対勧誘できない相手がいることを知らせてやる!」とか思って、わざと付き合ってあげて断る、というのをやってたわけです。でもこれはよくなかった。まず、ひとりくらいそんなのやっても無駄だし(笑)。それに、「不成立なコミュニケーション」を繰り返すことになるので、心のどこかがマヒします。

実は、一度だけ、「勧誘する側」に回ったこともあるのです。ごめんなさい。物売りじゃないけど。で、結果としては、はかばかしくなかった。それをあとで考えてわかったことが2つ。1つは、「勧誘しようとしているモノについて、本人が『いい』と思ってないと成功しない」。まぁ当然ですね。わたしの場合は、いいことはいいんだけどうさんくさく見えるかなぁ……って気持ちがあった。もう1つわかったことは、「うさんくさいモノは、嫌われたくない人には勧めない」。自分がソレを勧めた相手を振り返ると、もとから大して親しくない、勧めて断られたからってどうでもいいような相手ばかりだった。きっとずっと「変な奴」って思われたままなんだろうなぁ。

勧誘者自身がいいモノって信じやすいのは、たとえば生命保険。これは、悪いものじゃないと普通思いますよね。だから親戚友人に売りまくる。勧誘員は親戚友人にひととおり売れば辞めてもらっていい、と、生保会社は思ってます。うさんくさいのはたとえば選挙の候補者とか投資話とか(笑)。だから懐かしい知り合いから電話来たりするんですよねー。


ふつうの人は、単発の悪事ならこなせますけど、悪いことを継続してやる(仕事にする)ことはできません。代表的エウリアン会社のア○ルビ○ンのサイトを見ても、絵のある生活がどうのこうの、という謳い文句があります。おそらく絵売りおねーさんも、絵を売ることで売った相手が幸福になるんだとか、そういうのを叩き込まれてる。それだけじゃ多分足りないので、自分なりに「ローンを組むのも社会勉強になる」「お金があるところからは取っていい」みたいに、罪悪感を回避する言い訳をちゃんと心の中に用意してるはずです。だからエウリアンは悪いことをしてるという意識は(表面上は)ないでしょうね。

ア○ルビ○ンの業績見ると、だんだん落ちてきてるようなんで(社員数も減ってるし)、この商売もそろそろ手口が知れ渡って、だめになってきたのかもしれません。でもまたなにか始めるのでしょうね、この社長さんは。顔写真出てますけど、もし、人間の想念がほんのわずかでも現実に影響を及ぼすことがあるとしたら(来いと思った馬が来るとか、入れと念じたボールが入るとか)、このひと、原因不明の難病で死ぬんじゃないか。その前に刺されますか?


エウリアンを見かけたら、できれば別の道を通った方がいいです。ふつーのティッシュ配りや美容院の割引券配りのひとたちと違って、エウリアンはスルーしようとすると、「(え、なんでなんで? なんで無視するの? 信じらんな〜い!)」というような空気を投げかけて来るので、そばを通るだけでも「不成立なコミュニケーション」が発生し、こちらも向こうも疲れます。それにポストカードは自腹なので、受け取って歩き去ろうものなら、背中に罵詈雑言が(心中で)発せられてるのは間違いありません。相手のためを思って、優しく、近寄らないようにしてあげましょう。

あと、エウリアンの売る絵が全部悪いって言ってんじゃないです。結局のところは、絵の価値は買う人のなかにあり、買う人が納得できればお金を出せばよいのです。それだけです。誰かにとって100万の価値がある絵もあの画廊にはあるのかもしれない。でも「誰かにとっての価値」と「資産価値」は違いますから、そこを「後で売れる」とか勘違いしなければ。