すべての夢のたび。

1日1記事ぐらいな感じでいきたい雑記ブログ

唯我独在

子供のころ、周囲のひとたちはみんな役者なんじゃないかと思うことがあった。どういうわけか、自分はこの地球にたったひとり送り出されたのだ。たぶん何事かを学ばせるために。行動範囲だけが世界。もしいきなり、あの知らないひとの家に飛びこんだら、きっと映画のセットみたいに裏側はなにもないんじゃないか。でもおそらく脳波をモニターされてて、わたしが行きそうな範囲だけはちゃんと作ってあるに違いないとか。トゥルーマン・ショー的ですね。

わたしとよく気が合うひとは、多かれ少なかれ、子供のころに似たような想像をしたことがあるっぽい。これ、独我論の変形ですよね。世界には「わたし」しかいないんじゃないか、他のひとはみんなロボットなんじゃないか、みたいな考え。

でも微妙に変。だって、もし世界にいるのがわたしひとりと信じてるなら、それをわざわざ声高に主張してみせる必要はぜんぜんないじゃないか。なぜならまわりはロボットなんだし、言うだけむだだって。だから真の独我論は語られ得ない、つーか、真の独我論者は語らないはずなのだ。なのに、世の中には独我論的思考に関する本やコメントがあふれている。なんでだろう。みんな信じてないものを語っている、言葉遊びをしているだけなのかな? それとも、寂しいからロボットとでもお話したいのかな?

独我論がうまくいかないのは、なんといっても、わたしにとっての世の中がうまくいかないのが原因です(笑)。だって主役だったらさぁ、もっとうまくこなせてもいいと思うんですよ! いい目を見てもいいと思うんですよ! でもママナラネエわけっすよ!! 「なんでわたしがこんな目に遭わなくちゃいけないの」と思わず言ってしまうわたし/あなた。うまく回ってるときは「世界はわたしの手の中にあるんだ」くらい軽く思っちゃうんですけどねぇ。

別にいまでも、こういった思考から抜け出せているわけではぜんぜんないんです。ときどき、前を歩いてるひとが急に振り返って「じゃ、そろそろ茶番は終わりにしようか?」なんて言い出しそうな気がする。そんなことを考えるとゾクゾクしませんか? って問いかける向こうがわでクスクス笑われたりしてるんだろうか。あああああ。